6ボールパズルでやばいCPUに勝つ

Switchのソフト「世界のアソビ大全」を先月買った。マンカラ、バックギャモン、スパイダーなどぼちぼちやっていたが、現在はもっぱら6ボールパズルというゲームにハマっている。これを書いている時点でプレイ847回らしい。

同じ色のボールを6つ集めると消えるといういわゆる落ちゲーで、「ワザ」と呼ばれる決まった形に組んでボールを消すことで相手に大量のボールを送ることができる。普通に6つつなげて消すだけでは勝つことはできず、積みながらワザを目指していくゲームである。

「世界のアソビ大全」のCPUは「ふつう」「つよい」「すごい」「やばい」の4段階で、ほかのゲームではいまいちコツがわかっていなくても「やばい」に勝てるものもあるが、6ボールパズルでは相当鍛錬しないと勝てない。

「すごい」と互角に戦えるようになったのが一週間前。「やばい」に挑戦するも負けつづけ、まぐれで一度勝てたときからさらに続けて、ここ数日はコンスタントに勝てるようになってきた。とはいえいまだ負けるときのほうがずっと多い。

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「やばい」に勝つためのメモ
  • 3種類あるワザはヘキサゴン>ピラミッド>ストレートの順に強い。とくに序盤はヘキサゴンを目指し、相手が最初にワザを出すより先、最低でも同時にたどり着く。先に出されてボールが落ちてきてしまうとかなり厳しい。
  • 相手にワザを出されると大量のボールが落ちてくるので、盤面と次に落ちてくるボールを見ながら次に何を組んでいくかを考える。このとき、ピラミッド▽を目指すと比較的ラクかもしれない。
  • 考えながらぐるぐるボールを回しているとあっという間に負ける。素早い判断が何より大切。
  • 諦めないことも大切。デッドラインの1列上までを盤面と思おう。
  • ワザを目指して待っている色以外の色をうまくまとめていけると安定するはず。2面待ちができると強い。(が、そのコツはいまのところわからない…)

映画『花束みたいな恋をした』に、労働により疲弊してパズドラしかできなくなってしまった男が出てくる。私は学生時代には「2048」に無限に時間を溶かしたことがある。「にゃんこ大戦争」にもね。

キャバレーという非日常、あるいは人とただ話すための場

文春オンラインに「白いばら」についての記事を載せてもらった。

bunshun.jp

同店が2018年に閉店したことを受け、その店で働いていた元同僚と3人でサークルを結成して同人誌を出した。経験も技術も持ち寄り、手前味噌ながらどれもそれぞれにいい本になった。

白いばらというお店に対しては複雑な愛着があり、あまりによく言われていれば「そんなきれいごとばかりじゃない」と、悪く言われていれば「何も知らないくせに勝手なことを」と感じる。複数冊の同人誌を作ったことでいろいろな面から光をあてて語ることができたと思う(1~2冊だけ持ってる方はぜひ他の本も買ってください)。

文春オンラインの記事の最後には、サークルの他のメンバーの言っていたことを使わせてもらった。

閉店から3年、新型コロナウイルスの流行で人が集まること自体が難しくなってしまい、人とただ話すための時間・空間がこんなに貴重で恋しいものになるとは思ってもみませんでした。キャバレーという箱がなくなっても、人と人との親密な時間のための場、そこでしかできないコミュニケーションの場はいつの時代も必要とされるのではないでしょうか。

何百人もの人が毎晩ひとつの場所に集まり、膝の触れ合うような距離で隣同士に座り、することといえばただお酒を飲んで話すだけ。ただ人と過ごすこと、それだけのために装飾やドレスやショーといった装置が整えられ、大きな時間とお金と労力が費やされていた。

キャバレーは、少なくとも私がそこで過ごした平成の末期には、「昭和」で「レトロ」で「ディープ」なものと見られることも多かった。「キャバレーという場を必要とした時代が終わりつつある」と記事にも書いたが、そう語るときに浮かぶのは、キャバレーという場を必要とした時代はたしかにあったし、おそらく私たちにはいまも、キャバレーのような場が必要だということだ。

空間と時間で区切られたキャバレーという非日常。そこで出会う人々は原則そこだけの関係だった。日常を過ごすためにそのような非日常が必要であり、いつも会う人とうまくやっていくために、ときどきしか会わない人との関係が必要だったのだ。その「日常」(たとえば高度経済成長期におけるサラリーマンの「仕事」)や「いつも会う人」(たとえば専業主婦である妻)は社会を反映し、現在から見ればすべて是とはとても言えないが、多少の背伸びにより手の届く非日常が果たしていた役割は、「レトロ」なイメージが喚起するものよりずっと大きいだろう。

現在の私は、同居家族とときどき出社すれば会社の人としか会わず、穏やかに楽しくしかし閉塞感に満ちて暮らしている。浮ついた会話と感情を交わし、ときにとんでもない理不尽や怒りもあった日々のことを、その狂乱さえも私たちに不可欠なものだったのではないかと思い出しながら。

10月と11月の食べたもの記

飲み会がなくなり同居人とご飯ばかり。どうしても会食の場合はコース料理を食べている。

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門前仲町のフレンチ、L'Agréable Esprit de GAMIN。月替りのコース1種類のみ。量も多すぎず目にも楽しいコースでときどき行きたい。
esprit-de-gamin.gorp.jp

 

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ジャックアンドベティで『彼女は夢で踊る』と『ヨコハマメリー』を観るあいだに行ったギリシャ料理スパルタ。ランチは赤魚のオーブン焼きが一番好き。

www.sparta.jp

 

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歴博からの帰りに上野駅旧貴賓室にあるブラッスリーレカン。駅ナカと思えないほど雰囲気よく、おいしい。使い勝手のよさそうなお店。

www.lecringinza.co.jp

 

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エリックサウスマサラダイナーで念願のモダンインディアンコース(写真は量少なめ)。体験のある味。ひよこ豆の衣の牡蠣のフリットがおいしかった。

enso.ne.jp

イルミナ創刊号編集後記③―既に差別のあるこの社会で

 ストリップと社会と私を考えるZINE『イルミナ』創刊号の各コンテンツへの個人的な感想、ひとまず最後です。これまでの記事は以下の2つです。

usagisannn.hateblo.jp

usagisannn.hateblo.jp

 創刊号後半は編集部のあいださんと私(うさぎ)が自前で書いたものが続きます。文字も小さく内容も重いしで飛ばしている方もいるかもしれません……そんな方へもこのブログ記事が読み進めるためのガイドになればと思います。

 普段ストリップのことを話すとき、インターネットでも口頭でもできるだけ語らないようにしていることが私にはあります。そのうちの一つが、この社会にあるストリップへの偏見であり、ストリップに限らない風俗業(そして広い意味での「夜の街」)への差別です。

 語らないのは、語ることによってむしろそれらの存在を認めてしまうというか、助長することになるのではないかと思っているからです。が、とくにこのコロナ禍のなかで噴出した数々の問題に、触れないでいるのも不誠実と思い、同人誌という媒体で書き残し提示することにしました。

公正でない社会の公正でない犯罪―映画『ハスラーズ』(うさぎ)

 この映画を初めて観たとき、キラキラしたいくつものシーンに心動かされ、シスターフッドに励まされる一方で、どんよりした気持ちにもなりました。それはたとえば私たちは通常自ら選択して物を買ったり契約を結んだり労働したりしているけれども、そのとき公正と思われるルールや、ルールを生み出しているこの社会のほうがすでに公正ではないのだとしたら? そうだとしたら、不正にあらがうことはルールを破ることでしかありえないのではないか? という気持ちだったと思います。

 映画では、リーマンショックという社会全般の危機によって、平時からあった搾取や差別がよりあからさまになる状況が描かれています。公開時からまもなく私たちの社会にも新型コロナウイルスという危機がおとずれ、皮肉にも、このことをリアリティをもって経験できるようになってしまいました。

 そんななかでこの映画のことをどう考えたものか、正直なところ私にはまだよくわかっていません。このコーナーは、2度目に映画を観て気になったシーンを集め、あいださんによる次の記事はもちろん、創刊号全体にも響くようにと思って書きました。

※『ハスラーズ』は現在Blu-rayやDVDが発売されているほか、各種配信サービスので観ることができます。

hustlers-movie.jp

劇場は今―コロナ禍で浮き上がる性風俗差別(あいだ)

 4月、緊急事態宣言とともに各地のストリップ劇場が一斉に休館しました。宣言の解除とともに営業は再開され、感染対策をしながら続けられていますが、さまざまな面で以前と同様とはいえない状況です。

 このブログを書いている11/25にも、再度の感染拡大を受けて東京都では飲食店への時短営業要請が発表されました(大阪でも24日に一部の地域に向け出されています)。劇場の営業に変化はあるのか、踊り子の仕事はどうなるのか、もしも感染者が出たら……。ストリップ客のなかにはさまざまな事情で「今は劇場へ行けない」という方も「今だからこそ行く」という方もいますが、先の見えない状況に対する不安や、なんとかして劇場・踊り子を支えたいという気持ちは同じだと思います。

 コロナ禍という危機に際して売上が大きく減少し、このままでは営業を続けられないかもしれないというお店や会社に対して、「持続化給付金」という事業者向けの制度が国により用意されています。しかし、この持続化給付金から、ストリップ劇場を含む性風俗業の事業者は対象外とされています。記事のなかでは、この給付金をめぐって浮かび上がる、この社会にある性風俗業への差別について書かれています。

 ここで紹介している「セックスワークにも給付金を」訴訟のクラウドファンディングは790人のサポーターを得て目標額を達成しています。訴訟はこれからです。

www.call4.jp

消えた劇場 ②D‌X歌舞伎町(新宿)(うさぎ)

 ストリップ劇場は現在ある劇場のみが営業を許され、新設することはできないと言われています。劇場の閉館は踊り子にとってもスタッフにとっても客にとっても大きな痛みをともなう出来事です。

 2019年のDX歌舞伎町の閉館は、私にとって初めての、自分が愛した劇場がなくなってしまうという経験でした。ここでは、デラカブという劇場について、と見せかけて真白希実さんという踊り子さんについて……デラカブで踊る真白さんについて書きました。

誰が呼んだか「ロック座の至宝」、舞台上にいる真白さんはいつも観る人の視線を文字通り一身に集め、それを照らし返すように強い光を放つ。さらにD‌X歌舞伎町で踊る彼女は、ほかのどの劇場で観るよりもダイナミックで力強く見えた。この劇場で最後に踊るのが彼女であることが、奇跡のようにも当然のようにも感じられた。

 真白さんのステージには、『ハスラーズ』の序盤のラモーナのポールダンスのシーンと重なるような、視線を集め場を支配する圧倒的な力があります。一つの劇場の閉館に際して彼女が見せてくれたのは、ストリップという芸能が確かにここにあること、そして未来へと続いていくことでした。

 ちなみに「消えた劇場①」はイルミナ準備号に掲載されており、横浜の黄金劇場を取り上げています。準備号は現在DL版のみ用意しています。

shiroibara.booth.pm

変わる歌舞伎町 ロータリーの閉店(うさぎ)

 歌舞伎町、デラカブから徒歩すぐの風林会館にあった「サントリーラウンジ ロータリー」の閉店について書きました。金曜にヌードショーがありストリップとも縁の深いお店です。

 ロータリーについては充実したWEB記事やドキュメンタリー番組がいくつもあります。たとえば以下。

news.yahoo.co.jp

www.nhk.jp

えっ、少年マガジンでストリップ?―少女マンガの巨匠の真摯な奇作 里中満智子『さすらい麦子』(あいだ)

 1970年代の『少年マガジン』には、『釣りキチ三平』(矢口高雄)や『三つ目がとおる』(手塚治虫)と並んでストリップ漫画が連載されていた! しかも作者は里中満智子

主人公はアホ毛とハート形ハゲを頭に宿し、モンペを履きこなす女子中学生・麦子。踊り子の母に連れ添い、街から街へ旅をする。彼女は母の生業であるストリップという仕事を心から尊敬しており、行く先々でそのすばらしさを人々に説き、なんならたまには自分も脱ぐのである。

 ストリップファンにして少女漫画愛好家(?)のあいださんにより、この漫画がストリップという題材にどのように向き合っているかが語られます。「主体的な性風俗従事者の女性V‌S性嫌悪の人権派女性」という、時代の(しかし現在でもしばしば見られる)限界についても言及されています。

※『さすらい麦子』は各種電子書籍サイトで配信中です。私はKindle Unlimitedで読みました。 

さすらい麦子 1巻

さすらい麦子 1巻

 

 

イルミナ創刊号編集後記②―「踊り子へのラブレター」を中心に

 ストリップと社会と私を考えるZINE『イルミナ』創刊号を、おもしろ同人誌バザール(11/1)と文学フリマ(11/22)で頒布しました。たいへんな状況ですが、会場まで来てくださった方、また委託など通販などでお求めくださった方、本当にありがとうございました。

usagisannn.hateblo.jp

 ここでは各コンテンツについての個人的な感想を書きます。↑こちらの記事の続きです(note版とナンバリングが異なります)。

ストリップ初体験記(松村早希子)

 これまで文字主体で進んできたところにバーン!と見開きで、イラストと手書きの文章によりストリップ初体験の感動がつづられています。

女性が主体となって表現する「性」は、こんなにもあっけらかんとさわやかに楽しめるんだ…!!

 個人的には一度だけ拝見した平野ももかさんが描かれているのがうれしいです。まさご座で、お正月だったこともあってか平野さんはこのイラストにある巫女の演目を出していました。その透明感と、客席を飛び回る姿……忘れられない踊り子さんの一人です。

踊り子へのラブレター

 特定の踊り子さんに焦点をあて、さまざまなアプローチによって、その踊り子さんの魅力そしてストリップの魅力に迫ることを目指したコーナー。次号以降も続けていく予定です。

 今回は黒井ひとみさん、武藤つぐみさん、友坂麗さんへのラブレター。このコーナーを読んでその踊り子さんを観たいと思っていただけたらなによりです。

ラブレター to 黒井ひとみ

扉絵(美樹あやか)

 コーナーの扉に黒井さんの魅力を端的に表すようなイラストをと考えたとき、ぜひ美樹さんに依頼したいと思いました。芯があって、繊細で、願いに満ちている……私たちが黒井さんから受け取っているものが具現化されたような扉絵です。

月面とカルメン(松本てふこ)

 黒井さんの演目「聖裸月」と「リリィカルメン」をモチーフにした俳句の連作です。このページのおかげで本全体が一気に格調高くなった気がします。

 ストリップの演目のことを人に話すとき、私はときどき、「俳句みたい」と言います。ステージ作りにルールがあり、限られた要素のみで構成される、しかしその限定によりむしろ宇宙的な広がりが生じる、というような意味で。そういう気持ちで見ると、4句ずつの連なりが4曲で構成された演目のようにも見えてきます。

 どこかで松本さんに先導していただきストリップ句会をしたい!

座談会 黒井ひとみを愛する女たち

 「黒井ひとみはなぜ女たちを虜にしていくのか?」「彼女たちの感じている「エロ」とは何なのか?」に迫りたいために開催された座談会です。twitterで見かける黒井ひとみを愛するアツい女たちにお声がけし、zoomで収録されました。私は基本的に書記なので本文にはあまり出てきていないですが(なぜか百合に一家言ある人みたいに登場している…)、参加された皆さんの情熱と、演目の深い読み込みに驚きっぱなしの本当に楽しい会でした。

 黒井さんのパワーは人を動かして、その人の考えや、ひょっとしたら人生を変えてしまう。ストリップ劇場は客席こそそれほど多くないですが、これだけの人を動かしてしまうパフォーマーは、ほかのジャンルに広げてみても実はそんなにいないんじゃないでしょうか。

16分間のアイドル(南明保)

 初めてのストリップで黒井さんに出会った、南さんによるエッセイです。まず、ここで語られる黒井さん像は上の座談会で語られる黒井さん像とまったく齟齬がなく、誰が観ても黒井ひとみはこうなんだ!と思えます。

 そして丁寧に書かれた南さん自身の視線と感情の動きを読むと、長くはないステージの時間に次々と光景があらわれ、観る人のなかにはそれらの光景に触発されたさまざまな感情が去来するのがストリップを観るという体験なんだなあとしみじみ感じました。

 行ったことのある方は気づかれたかと思いますが、舞台になっているのはわらびミニ劇場です。編集部のあいださんとは会うたびにこの劇場の話をしていまいます。いつか特集をやりたいです。

ラブレター to 武藤つぐみ(ひな🐰)

 表紙のイラストも提供してくださったひな🐰さんによる武藤つぐみさん演目紹介。間違いなくこの本で最も濃密な4ページで、本を手にしたらまず開いてほしいほどです。

 装画には以前描かれたイラストのなかから編集部リクエストで1点を使わせていただきました。爽快で、開放感があって、私たちの表現したいことにぴったりむしろそれ以上の表紙になったと思います。初めて武藤さんを観たときの鮮烈な印象がそのまま書かれている「装画解説」も最高!

ラブレター to 友坂麗

座談会 友坂麗とは何者なのか

 イルミナ準備号に灘ジュンさん引退公演についての文章を寄せてくださった半田なか子さんをゲストに「友坂麗とは何者なのか」を語る会。3月頃に某所で収録してから緊急事態宣言の期間を挟んで半年以上、麗さんを観たりなにか思いついたりするたびに書き足して削ってを繰り返し、創刊号のなかで一番時間をかけてつくった記事です。

 そんなこんなで私はこんな思いに至りました。この座談会は友坂麗について、ストリップについて、何か語ることに成功しているでしょうか? 読んだ方の考えに委ねたいと思います。

熱海銀座劇場へ行こう♨(うさぎ)

 私が書いた記事で、写真と文による軽い旅行日記です。都会の劇場だけでなくいろんな劇場の魅力があることを書きたくて入れました(といいつつ道後やあわらへは行ったことがないので近いうちに行きたい)。

 文のなかで、牧瀬茜さんのステージに少しだけ触れて「悠久の時の流れ」と書いています。牧瀬さんを語るには経験も理解もとても追いつきませんが、いつかなにか言葉にしたい踊り子さんです。

ストリップに行ったらドキドキとキラキラが大洪水な件(にゃがた)

 創刊号のなかで3本目となるストリップ初体験エッセイ。

 一気に読みたい疾走感ある文章のなかで、私の好きなフレーズは「美しい人を美しい言葉で褒めたい!」です。ここの「美しい」は、一般的にいう「美」ではなくストリップ劇場にある(ような)「美」のこと。私もストリップのことはひねくれずためらわず、多少大げさに見えても美しい言葉を使って語りたいといつも思っています。

 

 多くの方にいろいろな視点からストリップについて語っていただき充実の本になりました! 参加してくださったみなさまありがとうございました。

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イルミナ創刊号編集後記①―『女の子のためのためのストリップ劇場入門』とノーナレ「裸に泣く」

 今月頭に『イルミナ』という同人誌の創刊号を出しました。「ストリップと社会と私を考えるZINE」を名乗っています。

note.com

 ここでは各記事を読んだ個人的で素朴な感想を記していきます。

 目次

 

  祝刊行! 菜央こりん『女の子のためのストリップ劇場入門』

 創刊号の巻頭特集(?)は菜央こりんさんの『女の子のためのストリップ劇場入門』の刊行を勝手にお祝いする企画。清水くるみさんと宇佐美なつさんから寄稿をいただきました。最初は書評のような感じでとお願いしていましたがお二人から届いたのはご自身の経験をふまえたエッセイで、むしろこれでよかった!といまは思います。菜央こりんさんの作品とともに、ご自身の劇場での経験を思い出しながら、またイルミナ創刊号全体に響くものとして、読んでいただけたらうれしいです。

清水くるみ「ピンクの照明が照らす未来」

 「坊主ストリッパー」の清水くるみさんはストリップ劇場への出演経験をもち、現在はイベントでのパフォーマンスを中心に活動されています。今回の寄稿に書かれているのは、清水さんが熱海の劇場に出演されていたときに菜央こりんさんの作品と出会ったことです。
 私は熱海へは最近行ったばかりですが、そこで一番強く思ったのは、この劇場で演者は本当に一人だなということ。新人でもかなりの時間一人で舞台に立つ芸能は他にそうそうないこともあり、ストリップを見て「一人だ」と感じることはしばしばあるのですが、熱海ではとくにそれを強く感じました。
 この清水さんの文章を読み、あの場所でお客さんを楽しませストリップを少しでも知ってもらうべく闘っていらっしゃったのだと、胸が熱くなりました。この文章は、自ら発信もしつづける表現者である清水さんから菜央こりんさんに向けた、温かいエールだと思います。

宇佐美なつ「視線の中で生きる私たち」

 宇佐美なつさんは、お客さん出身で昨年踊り子デビューされた現役の踊り子さんです。あくまで私の個人的な感想ですが、宇佐美さんのこの文章は、なぜ『女の子のためのストリップ劇場入門』が描かれる必要があったのかを、作者の菜央こりんさん自身の動機とは別に説明するものだと思います。
 この文章に書かれている「”見る”という暴力」に私も日常生活で多々覚えがあり、だからこそストリップ劇場という場で、そこがまさに女性の裸を見るための場であるにもかかわらず、”見る”ことが違ったかたちでありうることに、毎回新鮮に感動します。踊り子さんになったあとでも(お客さん時代の想像を超えて大変なこと、きっとあると思いますが)宇佐美さんのなかでそれが揺らいでいないことに、客でいつづけている自分も救われます。一方で、劇場にある雰囲気は最初からあるものではなく、不断に作られつづけているものだと、背筋が伸びるような気持ちにもなりました。

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 『女の子のためのストリップ劇場入門』の発売当初、菜央こりんさんのTwitterに掲載された試し読みが炎上したことがありました。今回本作品を取り上げ、お二人に寄稿をお願いした際にはそのことも念頭にありました。

 炎上のなかでは無理解や偏見に基づく言葉も多く見受けられましたが、ひとつ気にしたい言葉として、「ストリップは女性搾取である」というものがありました。
 この言葉について、「ある/ない」どちらと言い切れるようなものではないと私は思います。私たち一人一人の心持ちでどうにかなるものではなく、この社会にある、たとえば根深い女性差別、性表現や性風俗業そして芸能をめぐる問題、ストリップという文化が歩んできた歴史と現在のあり方、すべてに関係のある重層的なものだからです。
 またこれらの問題の多くは、ストリップというジャンル(もしくは裸になること)に特有のものではなく、濃淡はあれ私たちの社会がさまざまな場面で共有しているものです。
(『イルミナ』ではこれらを少しずつ解きほぐしていきたいと思っていますが、まだまだ途上です。また、いま現場に搾取があるのならそれは具体的に解決されていくべきだと思います。)

 当時『女の子のためのストリップ劇場入門』やストリップを批判していた人たちに直接届けることはもう叶わないでしょうが、ストリップを愛する、あるいは少しでも関心をもっている方に、清水さんと宇佐美さんお二人の文章をぜひ読んでいただきたいです。きっとなにか考える手がかりになるのではないかと思います。

 

 ちなみに私自身の『女の子のためのストリップ劇場入門』感想文は↓です。

usagisannn.hateblo.jp

 二つの寄稿に加え、創刊号には編集部あいださんによる「菜央こりん同人誌レビュー」も掲載しています。いまは手に入らない本もあるので持っている方はにまにましてください。劇場ごとに異なるストリップの魅力を発表しつづけてきた菜央こりんさんに改めてエールを!

 

インタビュー メイキング・オブ・ノーナレ「裸に泣く」

 巻頭特集(?)のふたつめは、2018年10月にNHK総合で放送されたドキュメンタリー番組「ノーナレ 裸に泣く」のディレクターさんへのインタビュー。ずっとやりたかった企画です。

 まだ番組を見ていない方はどうぞ(110円!)↓

www.nhk-ondemand.jp


 ストリップがメディアに登場することに対して、お客さんたちからはしばしば、期待と同時にある種の警戒の声も聞かれます。それは、ストリップに対する偏見に基づいたものがつくられ世に出ることでさらに偏見が強まってしまうことへの危惧なのかなと思います。(実際、ストリップを描いた作品等にはそういうものも少なくないし、私も自分のつくるものがどう受け取られるかドキドキしています。)
 この「裸に泣く」はありがちな偏見や固定観念から離れてストリップに向き合い、一方で番組としての伝えたいことや作り手の意図もしっかり見える、絶妙なバランスのドキュメンタリーに仕上がっていたと感じます。

 思えばテレビと同人誌はほとんど対極にあるようなメディアです。同人誌は一人でもつくれるし何をどれだけ書いてもいいし、5冊しか出さなくてもいい。テレビは関わる人数が多く、尺やスケジュールの制約もはるかに多く、でもその分影響力は絶大です。
 今回お話をうかがい、ディレクターさんの視野とリサーチはもちろん、撮影&編集にかかわるチームのみなさんがそれぞれの角度からストリップの魅力を感じ、それをかたちにしようと取り組んでくださったことがとくに印象的でした。
 たくさんの取材のなかから実際に番組に使われるシーンはほんの一握りで、このインタビューでは「泣く泣くカットしたシーン」もいくつか語られています。ひょっとしたらそれを読むと少し番組の印象が変わるかもしれません(いい意味で!)。いいエピソードばかりで惜しくもなりますが、そういうものを削ぎ落としていくのがテレビ番組制作で、また直接は見えない蓄積があってこそ番組が成り立つのだろうとも思います。

 こういう方がストリップに出会って魅力を感じてくれて、さらに番組をつくってくれたことを、改めてうれしく感じられるインタビューでした。

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続きはこちら↓

usagisannn.hateblo.jp

usagisannn.hateblo.jp


身体を観、心に触れる

人間の体は、人間の魂の最良の像である
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『哲学探求』)


 2018年秋、私がストリップに通うきっかけとなった踊り子・かんなさんが突然引退してしまった。2016年に華やかな引退公演を浅草ロック座で行い、それから約1年後に復帰した人だった。一度引退して復帰した踊り子に二度目の引退公演はないのだという。その日が最後だということは楽日当日に彼女のブログでほのめかされていたけれど、私は行くことができなかった。

 私が彼女を初めて知ったとき、もう一度目の引退の日は決まっていた。何もわからないまま、これを見逃してはいけないと思って浅草に行った。一度行けば十分だろうと思っていたのが、気づけば何日も通い、楽日の最後まで劇場にいた。ステージは十数分間しかないのに、客席は広いのに、行くたびに彼女が私を見つけてくれているような気がした。そのときのことが忘れられず、彼女の引退後も劇場に通うようになった。

 復帰週にはどきどきしながら横浜ロック座へ足を運んだ。その間にたくさんの踊り子さんを知ってたくさんのステージを観たから、あのときの新鮮な気持ちは消え去ってしまっているのではないかと少し不安だった。でも、全然そんなことなかった。彼女は記憶よりもずっと鮮やかでパワフルで、こんなにすてきな人を最初に好きになれたことがうれしかった。

 演目が終わって場内に明かりがついた。初めての会話、何を言おうか思い巡らせながらポラ列に並んだ。私の顔を見て彼女は、
 「はじめまして……じゃないですよね。浅草、来てくれてましたよね?」
 いつも見つけてくれると思ったのは気のせいじゃなかった。

 復帰後は彼女を追って関東の劇場はもちろん、大阪、小倉と広島へも行った。広島の常連さんが初来演の彼女のステージを観て「かんなさん、すごいねえ」と言ってくれたときには私まで誇らしい気持ちになった。二度目の引退まで、思えば幸せな1年半だった。

 2018年11月、彼女が引退してしまったのと同じ川崎ロック座に、翌日からMIKAさんは出演していた。週の後半になっても私はまだ心の整理ができず、あの楽日にここに来られたらよかったのにと思いながら場内に入り、MIKAさんのステージをぼんやりと観ていた。
 それは、もう二度と会えない人のことを思うような演目だった。会いたい、会えない、会いたい……。それでも踊っているMIKAさんの表情はやさしかった。観ているうち、自分の持て余していた感情ごと全身で包み込まれ、悲しいときは悲しんでもいいのだと言われたような気がして、涙がぼろぼろ出てきた。泣きながら、今日ここに来てよかったと思った。

 MIKAさんはインタビューの中で、「観ている人の気持ちに寄り添うことができれば」と、新井さんは彼女のステージが「語りかけ、なぐさめてくれる」ようだったと語ってくれた。

 私自身も含め、劇場に来ている人たちにもいろいろな生活がある。人に言えない願望や妄想をあたためているときもあれば、悲しいとも寂しいとも言えないもやもやを抱えているときもあるだろう。どのような気持ちにも、ストリップのステージは寄り添い、かたちを与えてくれる。ときには魅惑的に、力強く、ときにはあっけらかんと、ときにはそっと触れるように。そんなことがどうしてできるのだろうか。

 舞台の上で踊り子は裸になる。MIKAさんが言うように「身体を見せることと心を見せることはちょっとイコールなのかな」。客席にいる私たちはその身体を観て、心に触れる。それによっていままで直視できなかった自分の心にも向き合い、それを素直に受け入れられるようになるのかもしれない。

 舞台では隠されているものは何もない。観る者も、何も隠すことはない。

 

※MIKAさんという踊り子さんとそのリボンさんにインタビューをさせていただいた、菜央こりんさんとうさぎいぬの合同誌『私たちのアツいストリップ活動! 踊り子とリボン編』(2019年2月発行)に載せた文章です。

shiroibara.booth.pm