きっとあと150年くらいしたらなくなる結婚という制度

22日で婚姻届を出して1年。平和に過ごした。たぶん一人ではこの1年間を乗り越えられなかっただろう。ときどき出社すれば少し人と話すが、同居人(と文鳥)がほとんど唯一の話し相手になっている。

このあいだ、これから200年くらいかけて人類は肉食をやめていくのではないかという未来予想を聞いた。それなら婚姻制度が廃止されるか有名無実になるのはもう少し早いのではないか。

結婚しかも法律婚をしたいと考えたのは簡単に言えばそのほうが有利だから、とりあえず自分の人生のなかでは困難がより少なく済みそうだからというのが大きい。実際にしてみても、法的な場面にまで至らなくても、さまざまな場面で優遇されていると感じる。身構えることなく職場で話題にできるとか、緊急事態宣言下でも食事に行けるとか。制度自体がなくなるかこの優遇(あるいは結婚していない人や関係性の不遇)が解消されていくことがあるべき未来だとしても、現状である性別とある性別の対に制度が限定されているのはおかしいので同性婚が認められるべき、という議論も納得できる。

役所や銀行回りをしたり、医療保険に入ったり資産運用をはじめたり、MRワクチンを受けたり、マイナンバーカードまで申請して、どんどん国民化されていくのが自らの意思でも腹立たしい。しかし同居人には、突然かいずれか私が死んだとしても悲しみはほどほどに、ゲンドウのように世界を呪うことなく、権利のあるお金をちゃんともらって健やかにその先の生活をしていってほしいと思う。

1周年の記念に花瓶を買うと決めてどんなものがいいか探している。『後ハッピーマニア』を二人で読んだ(縁起が悪い)。

『あのこは貴族』と湧き出る地方の記憶

映画『あのこは貴族』を見た。細部まで丁寧に作られ、触発されて我が身のあれこれの経験が無限に思い出され、無限に語りたくなるような映画だった。

水原希子演じる美紀は、出身地のコミュニティに馴染めず大学進学を機に上京、紆余曲折を経て自立して生活しているが、まさにそれによって「東京の養分」となっている。

彼女が富山に帰省する際、スーツケースを持ち上げて階段を上るシーンがある。私も帰省するときにはああいうふうにして最寄りの駅まで行く。新幹線を降りて私鉄に乗り換え、座席を進行方向に転換するとき、ああ帰ってきたと感じる。駅まではやはり家族に車で迎えに来てもらう。

東京はうまく描けているがあの富山の描写はどうなのか、あまりにもヤンキーすぎないか、と、映画を見た東京出身者に訊かれた。富山ではないが地方から東京へ出てきてもう帰るつもりのない私にとって、悪意をもって言えばまさにあの通りで、もう少し冷静になってみれば、ほかの見え方もあるだろうと思う。映画のなかで東京という街が人ごとに違う面を見せるように。

ここからは昔話。地方の公立小中学校に通っていたころの記憶はあまりなく、卒業後付き合いのある友人もいない。なぜか流行っていたプーマのジャージ略して「プージャー」を、私と違って中学校に馴染んでいた妹(バスケ部)はもちろん持っていて、電話で友達と遊ぶ約束をするときに「集合はプージャー? 私服?」と言っていた。

なるべく同じ中学校の人がいない高校をと選んだ進学校でまず驚いたのは同級生たちの書く字がみんなうまいことだった。電車通学をするようになってイオンにも自力で行けるようになった。地域における高校のブランド力は大きく、ある雨の日に傘を持たずに制服で歩いていたら、知らないおばあさんに「○○高校の子が雨に濡れたらかわいそうだから」と傘に入れてもらった。

予復習に課題に課外授業にと、生徒たちはよく勉強していた。私は徐々にその空気が無理になってあれこれサボり、ついでに受験直前にインフルエンザにかかって志望校に落ちたが、予備校での平穏な1年間ののち無事合格した。4年間私大に通うより1年間予備校+4年間国立大に通う方が学費が安いとどこかの受け売りを得意げに両親に話した。それとは関係なく、両親は勉強も受験も(のちには院進も)したいだけさせてくれ、気持ちをそぐことはしなかった。単純に恵まれていたと思う。

同級生のなかには、浪人が許されない子も、国立の前期試験では東京の大学を受けてもいいが私立と後期は県内に限ると言われている子もそこそこいた。東大か地域の教育大かのどちらかで志望校を迷っている女の子もいて、そこにあったジェンダー的な偏りは大学の授業で言われて初めて意識することになる。大学で県外に出ても、卒業してからは地元に戻って就職や結婚をした人が多い。

高校時代に一緒に課外授業をサボってケーキを食べた友人も、慶應に進学して「イオンがないからどこで買い物したらいいかわからない」と言っていた友人も地元で結婚して子どもを産んだ。東京だけがすべてではないと頭では理解しつつ、ほかの土地で生きることを私は知らない。かつて同じ土地で似たような居心地の悪さを感じていた彼女たちに、『あのこは貴族』は、そして東京はどう見えるだろうか。

あのこは貴族 (集英社文庫)

あのこは貴族 (集英社文庫)

 

小説では美紀の出身高校は県内一の進学校ということになっていた。それだとまああの同窓会はやりすぎかなと思う。

文鳥のヒミツ

文鳥界で話題沸騰の『文鳥のヒミツ』を読んだ。

文鳥のヒミツ

文鳥のヒミツ

 

膝やももが衝撃の箇所にある、文鳥がぴょんぴょん跳びをするのをインコが見て真似する、夜に暗いところで鳴き声がするのは寝言を言っているのかもしれない、人のささくれを食べようとするのは羽づくろいしようとしてくれているなど、愛おしい数々のヒミツがかわいい写真とイラストとともに紹介されている。

文鳥という生き物のことをより深く知り、ともによりよく暮らすために、栄養や健康管理についても充実。「与えてよい野菜・果物」のリストを見て、我が家の文鳥にあげたことのなかったキャベツをあげた。おそらく世間では外に鳥かごを吊るして飼っているような人もまあまあいる現状で、ペレットをはじめとする食事事情、そして文鳥の「心」に踏み込んだケアについても触れられている。

「人しか仲間がいない環境」の1羽飼いでは、人がいなくなった家で文鳥は寂しさや不安を感じるという。コロナ禍は我が家の文鳥にとっては福音で、ほとんど常に家に人がいる状態で元気に歌い飛び回りして過ごしているけれど、これでふたたび人間たちが週5で朝から晩まで出社するようになったらどうなるのか……。

著者の海老沢先生(@kazuebisawa)は「横浜小鳥の病院」の院長。現在の家に引っ越す前、私が文鳥を飼おうと思った理由の一つは近くにこの病院があることだった。ペットショップから連れて帰ってまもなく体調を崩し最終的に死なせてしまった鳥も、いまうちにいる鳥(お迎え時の健康診断で寄生虫が見つかり投薬した)もお世話になり、キャリーの中にいる鳥をスルッとつかまえて保定してあっというまに触診・そのう検査・爪切りまでしてくれる動作が印象的だった。

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文鳥関連本、文鳥が好きな人なら泣いてしまうさかざきちはる『ぴーちゃんと私』。

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鳥が好きな人も鳥が嫌いな人も絶対おもしろいペパーバーグ『アレックスと私』。アメリカで動物の認知能力や「心」についての(女性研究者による)研究が置かれていた位置も興味深い。

父親へのプレゼントがネタ切れして久しい

父親が再雇用も終えて退職するというのでプレゼントを探している。

母親はまだなんとなく欲しいものがわかるが父親の欲しいものがわからない。これまでに定番はハンカチも靴下もお酒もコーヒーもお菓子もだいたいあげてしまった。両親は一軒家からマンションへの引っ越しを控えており、家具も食器も細々したものも必死に整理しているところだろう。だからといって旅行券や体験ギフトは感染症が落ち着くまでは気が引ける。花は会社でもらったんじゃないだろうか。そういえばSwitchを母にあげようと思っていたが既に買ってリングフィットアドベンチャードラクエに励んでいるらしい。

とりあえずスマートスピーカーApple Watchがほしいかどうか聞いてみようかと思う。Apple Watchは医療機器として承認もされ高齢者の健康管理に役立ちそうで、しかし高齢者になってから使いはじめるとたいへんだからいまのうちから使っておくといいかもしれない。

「退職祝い 父親」などの検索ワードでたどり着く「お父さんに贈る退職祝い○選!」的なサイトでメッセージギフトというのが紹介されていた。親へのプレゼント界には想像以上にいろいろなものがあるとおののいた。(男性用)が青で(女性用)が赤なのもじわじわくる。

なにかのタイミングで、この種のメッセージギフトを祖母からもらったことがある。私と妹に向けて、どこかで見つけたよいと思った言葉を祖母が自分で書いたものだったと思う。実家のそれぞれの部屋の扉にかけられたまま誰も捨てられずにいるが、それらもきっと引っ越しを機に処分されるだろう。

ちなみに親へのプレゼント界でかなりイケてるものとして「還暦フィギュア」がある。学生時代、先生の還暦祝いにゼミ生たちでこれを作って贈った。

www.myfigure.jp

インターネットは遠きにありて思ふもの

マッチングアプリでメッセージを交換した人に「インターネットにいそう」と言われた。その人とは何度かやりとりをしたが結局会うことはなかった。

会ったこともない人への「インターネットにいそう」、悪口ではないかと思いつつ、たとえば『花束みたいな恋をした』のふたりはtwitterやインスタはやっているのだろうが「インターネットにいそう」ではない。そんなことを言われたのは、気の合わない人となるべく会わないために威嚇的なプロフィールにしていたせいかもしれない。

ふみコミュニティ生まれで同人サイトとはてなダイアリー育ちの私もすっかりインターネット老人会の一員である。自転車で15分かかるTSUTAYAヴィレヴァンが最大の文化スポットである郊外で中学校にも高校にも馴染めずインターネットにのめり込み、二次創作のイラストを描き受験日記を書いてはせっせと公開していた。インターネットで出会った人と現実で会うことはとびきりの非日常に感じられた。進学し上京したときには舞い上がって同人サイトやはてなダイアリーでつながっていたいろいろな人と会った。そこから10年以上が経っていまやtwitterをやろうがマッチングアプリをやろうがブログを書こうが何もかもが現実と地続きで、〈ここではない世界〉としてのインターネットはノスタルジーのなかだけにある。

インターネットのフロンティア感の名残りはいまLINEオープンチャットにあるかもしれない。去年入ってみた文鳥のオープンチャットでは中学生が帰宅の報告や部活の話をしている。

コミケのない年、結婚して転職して引っ越し

お題「#この1年の変化

2020年は生活上の大きな変化が重なった年だった。生活しかすることがないが、生活にすることがあったので、ぐずぐずしつつも生き延びてきた。

結婚した

3月に結婚した。姓は私が変えた。自分がどう呼ばれようととくに気にならないが、身分証明書に旧姓を併記するために戸籍謄本が必要で戸籍謄本を取得するためには本籍地の……と調べているときに夫がゴンブリッチという美術史家の話をしてきたときには私もゴンブリッチの話のほうがしたいと思った。

式や披露宴などもともとするつもりがなく、社会情勢的にどれもするつもりがないと表明することもなくなった。結婚指輪は秋頃に買った。当初かなり抵抗感があったが、自分で選んだかわいい指輪がつねに指にあるのは単純に気分がいい。社会的な意味合いが薄れたらもっといいのだが。

婚姻届を出してその足で行ったタテルヨシノは11月に閉店してしまった。

転職した

数日だけ有給消化して前職を退社し、新職場は4月1日が初出社。まもなく緊急事態宣言が出て、1Kの部屋でデスクとちゃぶ台を交代で使用しながら在宅勤務することになった。

このころ文字ばかりの本は読めなかった。Switchを買うために1か月くらい毎日Amazonに張り付き、満を持してポケモンとリングフィットアドベンチャーを始めた。動物のお医者さんが無料公開されていたのを機に、これまで読んだことのない名作漫画を読もうと、ハンターハンターカイジやアカギや鬼滅の刃約束のネバーランドゴールデンカムイ進撃の巨人を読んだ。ぴよ将棋というアプリで将棋も始めた。

転職先は伝統的に労働組合が強いらしく、労働条件的にかなり恵まれている。そして出社してもオフィスで誰も怒鳴っていない。

引っ越しした

この世で私のもっとも好きなことの一つが物件探しであり、もっとも苦手なことの一つが引っ越しの準備である。SUUMOをひたすら眺める日々のあと、建設中で内見もできないマンションの最後の一部屋に決めた。建設中だから時間的には普通の物件への引っ越しより余裕があったがそれでも準備はつらかった。バリューブックスとサマリーポケットがなければ引っ越しできなかっただろう。

それまで住んでいた横浜から、東京の東側いわゆる下町へ。小さなお店が多く、寺や公園もあり、近所を歩いているだけで気が紛れる。大きめのスーパーがすぐそばにあるのもうれしい。いままで最寄りのスーパーがまいばすけっとであったことがどれほど心を苦しめていたかを思い知った。

引っ越しに合わせて食洗機を買った。在宅勤務時代の必需品。

自転車を買った

引っ越してから秋冬になるにつれ自転車が欲しくなった。クロスバイク入門的なものを買うことも頭をよぎったが、どれくらい長く乗るかもわからないのでとりあえず安いものをと、あさひのミニベロ、クリームミニ(楽天で買って店舗で受け取る)にした。

自転車を持つのは4年半ぶり。前に乗っていた自転車はドンキで買った適当なママチャリで、横浜へ引っ越すときに捨てるつもりだったが、退去立ち会いに来た管理会社のおじさんが欲しいと言ったのでそのままあげた。あとから新居に菓子折りが届いた。

自転車に乗るたびに地下鉄に規定されていた想像力が解放され、東京が更新される思いがする。日本橋や丸の内、銀座も近所と思えるようになった。最高。

item.rakuten.co.jp

タダで髪を切ってくれた人が「歴11年 店長」に

もう4か月髪を切っていない。

10年以上前、はじめて上京したときは下北沢に住んでいた。下北沢駅前や渋谷駅井の頭線の改札でよく美容師さんに声をかけられ、かけられるままにカットモデルをしていた。

基本的にカットは無料、カラーやパーマも1000円くらいでできたし、閉店後や開店前の美容室の様子を見られるのも面白かった。髪型ははじめから決まっていることも、ある程度スタイルを変えることが条件のことも、自由のこともあった。カットが終わり、チェックをする役の先輩美容師が私の髪を一通り触ったあと、「初めてうまくできたね!」と担当に言うという恐怖体験などもあった。

モデルは単発のことが多かったが、ある日声をかけてくれた美容師さんのモデルは3年くらい続けた。自分では選ばないような、いわゆるイケメンに囲まれて髪を切りたい人向けのような美容室で、正規の料金は高めだった。その人がスタイリストとしてデビューするときには、月の売上のノルマがあるというので、学生の身で2万円かけてカットとカラーとトリートメントをした。まだ足りないというので月末にトリートメントだけしにもう一度行った。何年もタダで切ってもらっていたことを思えば安いものだが、ホストクラブとはこういう感じなのかと思った。担当と呼ぶのも同じだし。

恩もあり慣れているから気楽で技術もある(切ってもらった数日後、知らない人に百貨店のトイレで髪型を褒められたことがある)がいかんせん料金が高いので、その後は2回に1回その美容室に行くことにしていた。行くといつもトリートメントをこっそりサービスしてくれた。

少し遠くへ引っ越したのを機にその美容室へは行かなくなり、ホットペッパーで適当に探した美容室を初回クーポンで渡り歩いていた。再度引っ越しをして今ならまた通えるかとその店舗のページを見てみたが彼の名前はなかった。辞めてしまったのかもしれないと思って別の美容室へ行った。

そして4か月、いつ髪を切ろうかと考えてばかりの数週間を過ごし、今日ようやく思いついてその美容師さんの名前で検索した。2年前に独立していて、なんと私の住んでいる駅の一つ隣にお店を構えていることがわかった。4年ぶりにメッセージを送り、来週の土曜日に予約をした。