救いのかぶと

気がついたら最後にブログを書いてから1年以上経っていた。マストドンに登録してそこに書こうと思った話が長く重くなりすぎるのでここに書くことにした。ちなみに買った家はその後は特にトラブルもなく快適に過ごしている。先日初めて管理組合の集会に出た。

さて、今週の頭に義父が亡くなり、昨日葬儀を終えた。葬儀は火葬場に集合して火葬の前に簡単な時間をとるという方法にした。「火葬式」とか「直葬」とか呼ぶらしい。この数年はそうされる方が多いですと言って、葬儀社の担当者(漫画『死役所』のシ村によく似ていた)も特に大きな式や特別なオプションを勧めてくることはなかった。私たちが若かったせいもあるかもしれない。

参列者は夫の周りの人たちに加えて私の両親、互いに初対面で宗教も違う人たちもいるのでどうなることかと気を揉んだものの、火葬を待つ時間の控え室は喪主の昔話をダシに酒盛りでも始まりそうな雰囲気だった。

地方に住む、あえて言うなら「良心的なインテリ」の大部分は教職関係者で、私も夫もそのような人たちに育てられたのだった。彼らはとてもいい人たちで、抑圧的なところもなく、夫を大いに愛し心配してくれている。一方ではそれを幸福なことと思う。しかしもう一方で、彼らには家族という人間関係への揺らがぬ信頼があって(おそらく、それは都会のインテリにはないものではないか?)、それが私たちも投影されているという窮屈さを感じないこともない。

タイミングがいいというかなんというか、明日の読書会に向けて先週から『福音書』(岩波文庫)を読んでいる。

コロナ禍で都内に中古マンション買った記

タイトル通りの記録。

在宅勤務で家が狭い

家は帰って寝るだけの場所と思っていた1年半前。自分の転職を機に、多少狭くてもよいと駅から徒歩すぐの新築物件の最後の一部屋だった1DKを内見もせず借りた。8月に完成して引っ越し、しばらく不都合なく暮らしていたが、年末まで平日に単身赴任(?)をしていた夫が毎日在宅勤務になると1DKで2人が在宅勤務という生活に耐えられなくなってきた。

もう少し我慢か、広めの賃貸を借りるか、いっそ購入かで迷っていたのが春頃。緊急事態宣言の切れ目に何人か友達と会ったときにも住宅事情の話ばかりしていた。

当初は以下の条件でざっくりと探し、不動産情報サイトを毎日眺めてだいたいの住めそうなエリア、住めそうな家賃/物件価格の相場感を把握した。

  • 広めの1LDK~2LDK
  • 職場から30分以内でできれば乗換なし、駅徒歩5分以内

使ったサービスでよかったのは、検索は物件数の多いnifty不動産、気持ちを盛り上げるのはリノベーション中古マンションに特化したカウカモ、探した物件の割高/割安感を知るにはカウル

問い合わせ、内見、申し込み

ある日カウカモに、当時の家のすぐ近くの秀和レジデンスの部屋が出ていた(カウカモには秀和レジデンスがよく出ている)。リノベーションとはどんなものなのかと、秀和レジデンスを見学してみたいという好奇心でアプリから問い合わせをした。

管理の行き届いた建物と美しくリノベーションされた部屋で、キッチンにはタイルが貼ってあった。現地で待ち合わせた担当さんによるヒアリングがあり、その場で物件を探してもらった。いくつかピックアップした物件プラスαを1週間後にまた内見に行こうという。その時点ですぐに購入する気持ちはなかったが、後学のため提示されるままに紹介してもらうことにした。

1週間後に指定された物件の前で待ち合わせ。そのあいだに秀和レジデンスの部屋は買い手が決まったらしい。この日に内見した物件は3軒で、先週ピックアップした物件からすでに売れたものや、修繕積立金の滞納などマイナス面の大きいものを除いて選んでもらった、すべて売り主が個人ではなく企業(そのほうがいろいろとスムーズとのこと)のリノベーション済み中古マンションだった。

1つめは神楽坂で立地は最高だが見晴らしが悪く、なんとなく建物の空気が淀んでいた。2つめは窓からスカイツリーが見えて、特に難はなかったが共用部に飾ってある花のセンスが気になった。3つめは自分で調べていたときにもお気に入りに入れていた物件で、この日が内見可能になった初日だという。どの部屋も明るく、広いバルコニーがあった。え、決めちゃう? 決めちゃう? と、その日のうちに申し込みをしていた。担当さんが連絡事項や必要書類を送るライングループを作ってくれて、すぐに住宅ローンの仮審査にも申し込んだ。

本当に買うのか?

住宅ローンの仮審査が通ればすぐに契約(私の場合は申し込みから1週間)、そこで手付金200万円を払い、その後キャンセルの場合は手付金は返ってこないという。勢いで申し込みをしたものの、本当に買っていい物件なのか、そしてこのタイミングでローンを組んで大丈夫なのかを、1週間のあいだ猛烈に調べたり考えたりすることになった。(つづく)

もうずっと我慢のウイーク

神奈川県知事から「GWは我慢のウイークです」と言われて1年が経った。もうずっと我慢している。徒歩と自転車で行ける距離で過ごした。

・空席のなかったカフェでコーヒーとワッフルだけ買って散歩しているうちに、川の流れる小さな公園を見つけた。子どもたちが群がって川に糸をぶら下げていた。スルメでザリガニ釣りをしているのだった。

東京都慰霊堂復興記念館に行った。関東大震災により横網町公園に避難した4万人のほとんどがその場で焼け死んだこと、22年後にそれよりも多くの人が東京大空襲で亡くなったこと、何度聞いてもあまりに痛ましい。首都の半分がほぼ壊滅、その後もあちこちに空襲を受けつつ戦争は5か月も終わらず、ついに長崎と広島に原爆を落とされる。焼け出された人はそのあいだどのような気持ちで過ごしていたのか。

文鳥のケージを丸洗いした。きれいになってヒーターも外されたケージがいつもと違って見えたのか、文鳥は慌てていた。

中国茶専門の喫茶店に行った。マッチングアプリで出会ったらしき男女の会話が聞こえてきて、微妙な距離感の探り合いに、なんとなく『あの子は貴族』を感じた。母の日の話題で、「うちの両親は本当に物欲というものがなくて」と男性の方が言っていた。

Nintendo Switchのセールでぷよテト2とフィットボクシング2を買った。テトリスのプレイ動画など見ると複雑さが6ボールパズルの比ではなく、驚嘆する。いっぽう私はそもそも右と左がよくわかっていない。

読んだ本

中央ヨーロッパ――歴史と文学

中央ヨーロッパ――歴史と文学

  • 作者:桂元嗣
  • 発売日: 2020/09/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

↑あまりまとまって紹介されることのない中欧の近代史と文学を、言語、ユダヤ人、第二次大戦を大きなテーマに論じる本。とくに興味深いのはオーストリアの歴史意識で、第二次大戦中にはナチスを熱狂的に歓迎したにもかかわらず、戦後には「悪いのはナチスであり、オーストリアはその犠牲者である」という「犠牲者神話」が広まったという。その象徴がミュージカル映画サウンド・オブ・ミュージック』。

監督不行届 (FEEL COMICS)

監督不行届 (FEEL COMICS)

 

↑いまさら読んだ! 声出して笑った!

鼻下長紳士回顧録 上巻 (コルク)

鼻下長紳士回顧録 上巻 (コルク)

 

↑『嫌われ松子の一生』を観て沈んだ心が安野モヨコの漫画を読んで晴れやかに。人や状況に振り回されてどんどん変わっていくのは同じでも、安野モヨコの描く主人公は肝が座っているというか、自分で歩いていこうとしているというか。『鼻下長紳士回顧録』は19世紀パリの娼館を舞台とし、テーマが物語を書くことなので、その意味でも19世紀文学のよう。

観た映画

気が向いたら感想を追記する。

グッバイ、レーニン! (字幕版)

グッバイ、レーニン! (字幕版)

  • 発売日: 2013/12/25
  • メディア: Prime Video
 
映画「嫌われ松子の一生」

映画「嫌われ松子の一生」

  • 発売日: 2016/11/11
  • メディア: Prime Video
 
精神

精神

  • 発売日: 2020/05/06
  • メディア: Prime Video
 
リップヴァンウィンクルの花嫁【配信限定版】

リップヴァンウィンクルの花嫁【配信限定版】

  • 発売日: 2016/03/26
  • メディア: Prime Video
 

 

シアター上野と一条さゆり裁判:小沢昭一『本邦ストリップ考』

都内にあるストリップ劇場の一つ、シアター上野が摘発され、経営者や踊り子が逮捕されたという。

居合わせたお客さんのtwitterで知ってやきもきしている数日のうちに、ニュースで大々的に報じられた。どこまで本当か知らないが、朝日新聞(4/17)によれば警察は「東京五輪を前に、盛り場対策に力を入れ、環境浄化を進めていきたい」と語ったという。摘発は私がストリップを見始めてから初めてのこと。もう行われないものかと思っていたのは希望的観測にすぎなかった。

一条さゆり裁判

ずっと積んでいた小沢昭一の『本邦ストリップ考』に一条さゆり(初代)の裁判記録が載っているのを思い出して読んでみた。

本邦ストリップ考―まじめに (小沢昭一座談)

本邦ストリップ考―まじめに (小沢昭一座談)

  • 作者:小沢 昭一
  • 発売日: 2007/08/01
  • メディア: 単行本
 

一条さゆりは1972年、大阪にあった吉野ミュージックという劇場での引退興行の最中に逮捕された。その後起訴され、裁判では同年から1975年にかけて最高裁まで争ったものの、上告は棄却され実刑が確定する。それまでにも公然わいせつ罪での複数回の逮捕歴があり執行猶予中だった彼女は懲役刑に服することになる。

出所後の彼女に小沢は語りかける。

あなたの「罪」は、必ずいつか「罪」ではなくなる日が来るでしょうが、私のもっとも敬愛した一条さゆりさんの舞台が、いま「罪」だったということは、これは私にとってユユシキ問題なので、とくと点検しなければならないのです(109ページ)

この「点検」のために、この裁判の記録は雑誌に掲載され、単行本化されて、現在でも古本でかんたんに手に取ることができる。

ストリップはわいせつか

当然ながら裁判で語られるのは裁判を有利に進め、無罪を得るための証言であり、それによって見えにくくなっている部分もある。例えば彼女の不幸な生い立ちや仕方なく露出をしたという証言は、裁判という場では情状酌量のために必要だっただろうが、ストリップが「罪」になるかどうかに関しては重要ではない。

しかしそれを踏まえても、この裁判において、私たちの現在思うような論点はほとんど出揃っているといえるだろう。例えば以下の点。

  • 逮捕及び起訴は露出が即「わいせつ」行為であるという前提に基づいているが、「社会通念」は変化するものであり、その前提も再検討されるべきである
  • 見たくない者の目に触れる行為とは異なり、ストリップにおける露出は入場料を払い、演技を望んで来た観客を相手に「社会的に管理された環境」の中で行われる=被害者がいない
  • 性表現に関する人々の感じ方は著しく変化し、ストリップ劇場内での性表現は大衆娯楽の一つとして定着している
  • 大衆娯楽の一つとして、ストリップは社会的価値と意義を有している:「目の肥えた観客は、各自其の日のなりわいを忘れるため被告人の艶やかな磨きのかかった演技を鑑賞することによって目の保養をするに過ぎない」(162ページ)

また、論点というほどではないが、ある証人は、いまでいうセクハラ(食堂などにいる女の子に卑猥なことを言ってからかう)のほうがストリップよりずっと悪いことだと語っている。本当にそのとおり!

これらの論点が具体的に答えられることはほとんどなく、裁判官による判断にどのような影響を与えたのか、または与えなかったのかを知ることはできない*1

公然わいせつ罪の対象から外すことも決して不可能ではない

この裁判の時点で公然わいせつ罪は、とくにストリップに適用することに関して、すでに時代遅れのもの、少なくともいずれ時代遅れになるものという見方があった。最高裁に提出された法学者らによる意見書は、各国のポルノの自由化・非犯罪化の事情をそれぞれに報告しており、これらの国際的な方向性のなかに日本も位置づけられていた。

最高裁の決定後の弁護人らによる異議申立理由書は、「いわゆるストリップショーを公然わいせつ罪の対象から外すことも決して不可能ではないと信ずる」とはっきり語る。さらに小沢はこの記録の終わりに、この裁判が「陪審制」で行われたならどうだったのかと問いかける。

それなのに、2021年

一条さゆり裁判の弁護人であった杉浦正健は、裁判記録の解説のなかで、「何十年か後には、勝ち負けに関係なく何というバカげた裁判をしていたのか、ということになるような気がしてならない」(109ページ)と書いている。

裁判から50年弱が経ち、性風俗・性表現をめぐる状況はさらに変化した。ストリップもそのあいだにさまざまな変遷を経て現在に至っている。私は現在のストリップのあり方が好きで、各劇場に通っており、もちろんシアター上野にも何度も行ったことがある。社会が変化し、ストリップも変化して、「「罪」ではなくなる日」はとっくに来ていてもおかしくない。

しかし、取り締まる側の論理や多くの紋切り型の報道はその変化を反映していない。とくに、感染症により客入りが落ち、しかも性風俗業は国による支援の対象から外されているこのタイミングでの検挙、長い勾留、また顔や名前を出しての報道はあまりに暴力的だ。「何というバカげた裁判をしていたのか」とはまだとても言えない。

↓現場に居合わせ、事情聴取を受けたお客さんによる記事2件。

note.com

note.com

↓今回の摘発に抗議し、「性表現を自らの意思で扱う自由」を訴える日本芸術労働協会(木村悠介さん)への取材記事。

www.j-cast.com

おまけ:語られるストリップと一条さゆり

裁判のなかでは、被告人である一条さゆり、劇場関係者、作家らからストリップとはこういうもので、踊り子とはこういうもので、そして一条さゆりとはこういう人だと、関係のないようなことも含めあれこれ語られていく。

ストリップを含めた芸能について取材をしていた考学靖士(当時関西新聞文化部長)の証言はいまのストリップにも通じるものがある。

考学 非常におおらかなものです。ストリップ劇場の客席というものは……。子供が母親にアメ玉をせびる。それに母親が応えてやる。そういった関係が客席と踊子との間にはあります。
弁護人 そうすると観客と踊子との間には何か悪いことをこそこそ隠れてやっているというような陰湿な感じ、あるいは照れたような感じ、そういう態度をしている客を見たことがありますか。
考学 いないですね。率直に楽しんでいます。

また、小沢が一条さゆりについて語る言葉はほとんど、現在のある種の踊り子を語っているかのようだ。彼女が舞台上でどのように身体を動かしていたのかを知ることができなくとも、彼女が客席にもたらしていた効果がどんなものだったかは、現在のストリップを知る者ならきっと想像することができる。

あなたの舞台には、お客さんがほんとに満足してみんな帰って行く。その満足の仕方っていうのが、単に裸を見たとか、どこそこを覗いたとか、ということだけではなくて、一条さんのお客さんに尽くす気持ちっていうか、男に尽くす気持ちっていうか、あるいは人間を愛する気持ちというか、そういうようなものに、みんなまいっちゃって、もうほんとに、みんなが満足しきってですね、帰っていった。(93ページ、一条さゆりとのトークショーで)

劇場で、このような経験を私もたしかにしたことがある。

彼女の真剣さや優しさがワイセツを包み込んで、むしろ、いつくしみの心が伝わるような舞台であった。感動する客も多かった。私はいつもナケて来た。(328ページ)

彼女を逮捕した警察官の一人が、彼女がその後開いた寿司屋の開店初日からの常連になっていたというエピソードも紹介される。月並みな言い方だが、本当に人を惹きつける魅力のあった人なのだろう。

*1:追記。地方裁判所は劇場での露出即わいせつ即犯罪という前提を崩すことなく、ただし被告の生い立ちや境遇には同情すべき点があるので(!)懲役刑を最低限に留めるとしている。高裁と最高裁も基本的にそれを踏襲している。「本意ではない」のアピールはある程度有効だったのである。

きっとあと150年くらいしたらなくなる結婚という制度

22日で婚姻届を出して1年。平和に過ごした。たぶん一人ではこの1年間を乗り越えられなかっただろう。ときどき出社すれば少し人と話すが、同居人(と文鳥)がほとんど唯一の話し相手になっている。

このあいだ、これから200年くらいかけて人類は肉食をやめていくのではないかという未来予想を聞いた。それなら婚姻制度が廃止されるか有名無実になるのはもう少し早いのではないか。

結婚しかも法律婚をしたいと考えたのは簡単に言えばそのほうが有利だから、とりあえず自分の人生のなかでは困難がより少なく済みそうだからというのが大きい。実際にしてみても、法的な場面にまで至らなくても、さまざまな場面で優遇されていると感じる。身構えることなく職場で話題にできるとか、緊急事態宣言下でも食事に行けるとか。制度自体がなくなるかこの優遇(あるいは結婚していない人や関係性の不遇)が解消されていくことがあるべき未来だとしても、現状である性別とある性別の対に制度が限定されているのはおかしいので同性婚が認められるべき、という議論も納得できる。

役所や銀行回りをしたり、医療保険に入ったり資産運用をはじめたり、MRワクチンを受けたり、マイナンバーカードまで申請して、どんどん国民化されていくのが自らの意思でも腹立たしい。しかし同居人には、突然かいずれか私が死んだとしても悲しみはほどほどに、ゲンドウのように世界を呪うことなく、権利のあるお金をちゃんともらって健やかにその先の生活をしていってほしいと思う。

1周年の記念に花瓶を買うと決めてどんなものがいいか探している。『後ハッピーマニア』を二人で読んだ(縁起が悪い)。

『あのこは貴族』と湧き出る地方の記憶

映画『あのこは貴族』を見た。細部まで丁寧に作られ、触発されて我が身のあれこれの経験が無限に思い出され、無限に語りたくなるような映画だった。

水原希子演じる美紀は、出身地のコミュニティに馴染めず大学進学を機に上京、紆余曲折を経て自立して生活しているが、まさにそれによって「東京の養分」となっている。

彼女が富山に帰省する際、スーツケースを持ち上げて階段を上るシーンがある。私も帰省するときにはああいうふうにして最寄りの駅まで行く。新幹線を降りて私鉄に乗り換え、座席を進行方向に転換するとき、ああ帰ってきたと感じる。駅まではやはり家族に車で迎えに来てもらう。

東京はうまく描けているがあの富山の描写はどうなのか、あまりにもヤンキーすぎないか、と、映画を見た東京出身者に訊かれた。富山ではないが地方から東京へ出てきてもう帰るつもりのない私にとって、悪意をもって言えばまさにあの通りで、もう少し冷静になってみれば、ほかの見え方もあるだろうと思う。映画のなかで東京という街が人ごとに違う面を見せるように。

ここからは昔話。地方の公立小中学校に通っていたころの記憶はあまりなく、卒業後付き合いのある友人もいない。なぜか流行っていたプーマのジャージ略して「プージャー」を、私と違って中学校に馴染んでいた妹(バスケ部)はもちろん持っていて、電話で友達と遊ぶ約束をするときに「集合はプージャー? 私服?」と言っていた。

なるべく同じ中学校の人がいない高校をと選んだ進学校でまず驚いたのは同級生たちの書く字がみんなうまいことだった。電車通学をするようになってイオンにも自力で行けるようになった。地域における高校のブランド力は大きく、ある雨の日に傘を持たずに制服で歩いていたら、知らないおばあさんに「○○高校の子が雨に濡れたらかわいそうだから」と傘に入れてもらった。

予復習に課題に課外授業にと、生徒たちはよく勉強していた。私は徐々にその空気が無理になってあれこれサボり、ついでに受験直前にインフルエンザにかかって志望校に落ちたが、予備校での平穏な1年間ののち無事合格した。4年間私大に通うより1年間予備校+4年間国立大に通う方が学費が安いとどこかの受け売りを得意げに両親に話した。それとは関係なく、両親は勉強も受験も(のちには院進も)したいだけさせてくれ、気持ちをそぐことはしなかった。単純に恵まれていたと思う。

同級生のなかには、浪人が許されない子も、国立の前期試験では東京の大学を受けてもいいが私立と後期は県内に限ると言われている子もそこそこいた。東大か地域の教育大かのどちらかで志望校を迷っている女の子もいて、そこにあったジェンダー的な偏りは大学の授業で言われて初めて意識することになる。大学で県外に出ても、卒業してからは地元に戻って就職や結婚をした人が多い。

高校時代に一緒に課外授業をサボってケーキを食べた友人も、慶應に進学して「イオンがないからどこで買い物したらいいかわからない」と言っていた友人も地元で結婚して子どもを産んだ。東京だけがすべてではないと頭では理解しつつ、ほかの土地で生きることを私は知らない。かつて同じ土地で似たような居心地の悪さを感じていた彼女たちに、『あのこは貴族』は、そして東京はどう見えるだろうか。

あのこは貴族 (集英社文庫)

あのこは貴族 (集英社文庫)

 

小説では美紀の出身高校は県内一の進学校ということになっていた。それだとまああの同窓会はやりすぎかなと思う。

文鳥のヒミツ

文鳥界で話題沸騰の『文鳥のヒミツ』を読んだ。

文鳥のヒミツ

文鳥のヒミツ

 

膝やももが衝撃の箇所にある、文鳥がぴょんぴょん跳びをするのをインコが見て真似する、夜に暗いところで鳴き声がするのは寝言を言っているのかもしれない、人のささくれを食べようとするのは羽づくろいしようとしてくれているなど、愛おしい数々のヒミツがかわいい写真とイラストとともに紹介されている。

文鳥という生き物のことをより深く知り、ともによりよく暮らすために、栄養や健康管理についても充実。「与えてよい野菜・果物」のリストを見て、我が家の文鳥にあげたことのなかったキャベツをあげた。おそらく世間では外に鳥かごを吊るして飼っているような人もまあまあいる現状で、ペレットをはじめとする食事事情、そして文鳥の「心」に踏み込んだケアについても触れられている。

「人しか仲間がいない環境」の1羽飼いでは、人がいなくなった家で文鳥は寂しさや不安を感じるという。コロナ禍は我が家の文鳥にとっては福音で、ほとんど常に家に人がいる状態で元気に歌い飛び回りして過ごしているけれど、これでふたたび人間たちが週5で朝から晩まで出社するようになったらどうなるのか……。

著者の海老沢先生(@kazuebisawa)は「横浜小鳥の病院」の院長。現在の家に引っ越す前、私が文鳥を飼おうと思った理由の一つは近くにこの病院があることだった。ペットショップから連れて帰ってまもなく体調を崩し最終的に死なせてしまった鳥も、いまうちにいる鳥(お迎え時の健康診断で寄生虫が見つかり投薬した)もお世話になり、キャリーの中にいる鳥をスルッとつかまえて保定してあっというまに触診・そのう検査・爪切りまでしてくれる動作が印象的だった。

f:id:usagisan_u:20210312235022j:plain

文鳥関連本、文鳥が好きな人なら泣いてしまうさかざきちはる『ぴーちゃんと私』。

penguindesign.heteml.net

鳥が好きな人も鳥が嫌いな人も絶対おもしろいペパーバーグ『アレックスと私』。アメリカで動物の認知能力や「心」についての(女性研究者による)研究が置かれていた位置も興味深い。