救いのかぶと

気がついたら最後にブログを書いてから1年以上経っていた。マストドンに登録してそこに書こうと思った話が長く重くなりすぎるのでここに書くことにした。ちなみに買った家はその後は特にトラブルもなく快適に過ごしている。先日初めて管理組合の集会に出た。

さて、今週の頭に義父が亡くなり、昨日葬儀を終えた。葬儀は火葬場に集合して火葬の前に簡単な時間をとるという方法にした。「火葬式」とか「直葬」とか呼ぶらしい。この数年はそうされる方が多いですと言って、葬儀社の担当者(漫画『死役所』のシ村によく似ていた)も特に大きな式や特別なオプションを勧めてくることはなかった。私たちが若かったせいもあるかもしれない。

参列者は夫の周りの人たちに加えて私の両親、互いに初対面で宗教も違う人たちもいるのでどうなることかと気を揉んだものの、火葬を待つ時間の控え室は喪主の昔話をダシに酒盛りでも始まりそうな雰囲気だった。

地方に住む、あえて言うなら「良心的なインテリ」の大部分は教職関係者で、私も夫もそのような人たちに育てられたのだった。彼らはとてもいい人たちで、抑圧的なところもなく、夫を大いに愛し心配してくれている。一方ではそれを幸福なことと思う。しかしもう一方で、彼らには家族という人間関係への揺らがぬ信頼があって(おそらく、それは都会のインテリにはないものではないか?)、それが私たちも投影されているという窮屈さを感じないこともない。

タイミングがいいというかなんというか、明日の読書会に向けて先週から『福音書』(岩波文庫)を読んでいる。