身体を観、心に触れる

人間の体は、人間の魂の最良の像である
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『哲学探求』)


 2018年秋、私がストリップに通うきっかけとなった踊り子・かんなさんが突然引退してしまった。2016年に華やかな引退公演を浅草ロック座で行い、それから約1年後に復帰した人だった。一度引退して復帰した踊り子に二度目の引退公演はないのだという。その日が最後だということは楽日当日に彼女のブログでほのめかされていたけれど、私は行くことができなかった。

 私が彼女を初めて知ったとき、もう一度目の引退の日は決まっていた。何もわからないまま、これを見逃してはいけないと思って浅草に行った。一度行けば十分だろうと思っていたのが、気づけば何日も通い、楽日の最後まで劇場にいた。ステージは十数分間しかないのに、客席は広いのに、行くたびに彼女が私を見つけてくれているような気がした。そのときのことが忘れられず、彼女の引退後も劇場に通うようになった。

 復帰週にはどきどきしながら横浜ロック座へ足を運んだ。その間にたくさんの踊り子さんを知ってたくさんのステージを観たから、あのときの新鮮な気持ちは消え去ってしまっているのではないかと少し不安だった。でも、全然そんなことなかった。彼女は記憶よりもずっと鮮やかでパワフルで、こんなにすてきな人を最初に好きになれたことがうれしかった。

 演目が終わって場内に明かりがついた。初めての会話、何を言おうか思い巡らせながらポラ列に並んだ。私の顔を見て彼女は、
 「はじめまして……じゃないですよね。浅草、来てくれてましたよね?」
 いつも見つけてくれると思ったのは気のせいじゃなかった。

 復帰後は彼女を追って関東の劇場はもちろん、大阪、小倉と広島へも行った。広島の常連さんが初来演の彼女のステージを観て「かんなさん、すごいねえ」と言ってくれたときには私まで誇らしい気持ちになった。二度目の引退まで、思えば幸せな1年半だった。

 2018年11月、彼女が引退してしまったのと同じ川崎ロック座に、翌日からMIKAさんは出演していた。週の後半になっても私はまだ心の整理ができず、あの楽日にここに来られたらよかったのにと思いながら場内に入り、MIKAさんのステージをぼんやりと観ていた。
 それは、もう二度と会えない人のことを思うような演目だった。会いたい、会えない、会いたい……。それでも踊っているMIKAさんの表情はやさしかった。観ているうち、自分の持て余していた感情ごと全身で包み込まれ、悲しいときは悲しんでもいいのだと言われたような気がして、涙がぼろぼろ出てきた。泣きながら、今日ここに来てよかったと思った。

 MIKAさんはインタビューの中で、「観ている人の気持ちに寄り添うことができれば」と、新井さんは彼女のステージが「語りかけ、なぐさめてくれる」ようだったと語ってくれた。

 私自身も含め、劇場に来ている人たちにもいろいろな生活がある。人に言えない願望や妄想をあたためているときもあれば、悲しいとも寂しいとも言えないもやもやを抱えているときもあるだろう。どのような気持ちにも、ストリップのステージは寄り添い、かたちを与えてくれる。ときには魅惑的に、力強く、ときにはあっけらかんと、ときにはそっと触れるように。そんなことがどうしてできるのだろうか。

 舞台の上で踊り子は裸になる。MIKAさんが言うように「身体を見せることと心を見せることはちょっとイコールなのかな」。客席にいる私たちはその身体を観て、心に触れる。それによっていままで直視できなかった自分の心にも向き合い、それを素直に受け入れられるようになるのかもしれない。

 舞台では隠されているものは何もない。観る者も、何も隠すことはない。

 

※MIKAさんという踊り子さんとそのリボンさんにインタビューをさせていただいた、菜央こりんさんとうさぎいぬの合同誌『私たちのアツいストリップ活動! 踊り子とリボン編』(2019年2月発行)に載せた文章です。

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