身体を観る

 ストリップ劇場では基本的に、奥にふつうの舞台があり、そこから道がのびて円形のステージ(盆と呼ばれる)がある。客席は大きく分けて、盆を取り巻くように配置されるものと、遠目からステージ全体を眺めることのできるものがある。席によって見えるものは変わってくる。どこの席がいいかは人それぞれ。
 私はもう単純で、できるかぎり最前列、かぶりつきで観たい。ひとりひとりの表情や目の光、皮膚の感じ、汗、あざや傷あとまで見えるのが楽しいからだ。でも盆周りの席が空いていて後ろの方が埋まっていることもある。演目の全体像を眺めることができる、またある程度距離があったほうが身体が美しく見えるなど、後ろの方の席がいい理由もあるのだろう。

 私たちはみな、それぞれに、身体をともなって生きている。ともなって、というか、この身体と自分そのものが一体で、切り離すことはできない。
 にもかかわらず、人間の身体をまじまじと眺める機会は私たちの日常生活ではそれほど多くない。自分の身体だってそれほど長時間鏡で見ることはなく、見たことのない部分もたくさんある。他人の身体ならなおさらだ。
 そんな人間の身体をじっくりと見るのは、なかなかしんどいことでもある。いざ見ようと思うと、人間の身体というものはあまりにも情報量が多く、あまりにも多様で、何を手がかりにしていいかわからない。たとえば裸の人が理由なく動きもなくただそこに立っていたとしても、きっと私たちは目を背けてしまう。
 そのような観点からいうと、ストリップには、人間の身体を「見やすい」ものにするためのさまざまな工夫と技術が凝らされている。たとえば「性」はその最たるものだろう。このつづきはあらためて書きたい。