ひやりとすること

 ストリップ劇場にはいろいろなルールがある。
 18歳未満の入場禁止は当然として、泥酔者の入場禁止、場内ではお静かに、カメラや携帯電話の取り出し禁止……「自慰行為厳禁」という貼り紙のある劇場もある。
 なかでもいちばん厳密に禁止されているのが、踊り子さんの身体に触ることだ。

 泥酔者が入口で止められるとはいえ、飲酒が禁止なわけではない。ほろ酔いでショーを観るのも、それはそれで楽しいことだと思う。しかしお酒が入りしかも裸体を見せることを売り物にする場には、ひやりとする場面もある。劇場に通っている回数からすればわずかだが、1回1回が私にとって大きな出来事だ。

 ある日ポラロイド写真撮影の時間に、酔っぱらったお客さん(常連さんの連れてきた一見さんらしい)が踊り子さんに触ろうとした。触っちゃだめなんだよねと確認をしたうえで、どさくさにまぎれてどうにか触れないかとする。踊り子さんは、だめですよと言いながらにこにこと、でもしっかりとお客さんの手をとって、その場を切り抜けていた。

 またある日、客席からステージまで容易に手の届く距離の劇場のこと。
 物理的には手が届くとはいえ、踊り子さんの衣服や身体に触ることはもちろん、上演中ステージ上へ手を伸ばすことはかたく禁止されている。ところがあるお客さんが演技中の踊り子さんの下着に手をかけ、そこへお金を挟んだ。場内が緊張につつまれたものの、大事には至らずその踊り子さんの出番は終わった。客席の明かりがついてすぐ、近くにいた他のお客さんがやわらかく注意していた。「ショーの間はだめだよ、すごくすてきだったから気持ちもわかるけど、あとでチップあげるタイミングがあるから」と。むにゃむにゃと答えたその人は、その後ビールを片手に、酔っぱらってはいるようだがとりあえずおとなしくしていた。
 その日何人かあとの別の踊り子さんが、演出として舞台から降り、客席を歩いていた。そのとき、さきほどのお客さんが身体を触ったらしい。踊り子さんは「触っちゃだめだよ! 出禁!」と大きな声で叫び、そのあと何事もなかったようにステージをやり遂げた。ふたたび舞台に出てきたとき、彼女は劇場スタッフを呼んで「この人外に出してください」と指差し言った。本人は酔っぱらっているからかプライドからかなかなか自分のしたことを認めなかったらしく、私が劇場を出るころにはまだ入口でスタッフと言い争っていた。

 このようなことは、もちろんあってはならず、起こったら厳しく対処されなければならないことだ。とはいえ、現実的には完全に排除するのは難しいだろう。
 踊り子さんに触れようとする人は、悪意があるというより本当にただうっかりと、軽い気持ちでやるのだろう。そのことがどれほどの意味をもつかには思いもよらず。だからこそ許せないし、恐怖も大きい。そのひとつの行動の背景に、いわゆる風俗業に従事する人々への偏見と蔑視があるから、しかもそれは個人的なものではなく、いまだこの社会に強く根深くあるものだからだ(そしてその向こうに、女性一般がこの社会で置かれている立場の弱さ、たとえば痴漢やナンパの被害を思い出し、余計に苦しくなってしまう)。
 そんなことがあっても劇場という場所に信頼をおけるような気がするのは、そのようなどのときも、一瞬にして客席を緊張感が支配するのを、見て感じたからにほかならない。ステージと客席、踊り子さんと客の関係は奇跡的なバランスで成り立っていて、おそらくそれは小さな(と思われるような)ルール違反で崩れてしまうような、こわれやすいものだ。だからこそひとりひとりの客に、踊り子さんがよいステージを実現できるような態度が要請されている……誰かに聞いたことはないからそのような言葉ではないかもしれないが、劇場という場を大切に思う気持ちがそこへ通うお客さんたちには共有されているのだと、そのようなとき、普段よりいっそう強く感じられる。
 さきほどの例のようにお客さんがお客さんに注意することは、場内でのいさかいを生みやすい繊細な問題で、いつでも正しいとはいえない。でもそのときは、注意したお客さんの言葉と言いかたを聞いて、この場所は信頼できる場所だと感じられた。
 通常は、劇場スタッフがルール違反を注意する。客席で携帯電話を取り出す人がいれば、マイクでスタッフ=「天の声」が注意するというように。あってないような注意書きではなく、劇場側に、厳格にルールを守らせるという態度が貫かれている。「なにかあったとき」に頼もしいだけでなく、スタッフさんと顔なじみになった劇場では居心地もいい。

 ひやりとすることはときどきある。それでもストリップ劇場は、そのようなことが、「あってはならないこと」として共有されている場だ。さっき、奇跡的なバランス、と書いた。踊り子さんがいて、劇場があり、お客さんがいる。三者により奇跡的に成り立つ場。このことはまちがいなく、私をストリップに惹きつけるひとつになっている。