『あのこは貴族』と湧き出る地方の記憶

映画『あのこは貴族』を見た。細部まで丁寧に作られ、触発されて我が身のあれこれの経験が無限に思い出され、無限に語りたくなるような映画だった。

水原希子演じる美紀は、出身地のコミュニティに馴染めず大学進学を機に上京、紆余曲折を経て自立して生活しているが、まさにそれによって「東京の養分」となっている。

彼女が富山に帰省する際、スーツケースを持ち上げて階段を上るシーンがある。私も帰省するときにはああいうふうにして最寄りの駅まで行く。新幹線を降りて私鉄に乗り換え、座席を進行方向に転換するとき、ああ帰ってきたと感じる。駅まではやはり家族に車で迎えに来てもらう。

東京はうまく描けているがあの富山の描写はどうなのか、あまりにもヤンキーすぎないか、と、映画を見た東京出身者に訊かれた。富山ではないが地方から東京へ出てきてもう帰るつもりのない私にとって、悪意をもって言えばまさにあの通りで、もう少し冷静になってみれば、ほかの見え方もあるだろうと思う。映画のなかで東京という街が人ごとに違う面を見せるように。

ここからは昔話。地方の公立小中学校に通っていたころの記憶はあまりなく、卒業後付き合いのある友人もいない。なぜか流行っていたプーマのジャージ略して「プージャー」を、私と違って中学校に馴染んでいた妹(バスケ部)はもちろん持っていて、電話で友達と遊ぶ約束をするときに「集合はプージャー? 私服?」と言っていた。

なるべく同じ中学校の人がいない高校をと選んだ進学校でまず驚いたのは同級生たちの書く字がみんなうまいことだった。電車通学をするようになってイオンにも自力で行けるようになった。地域における高校のブランド力は大きく、ある雨の日に傘を持たずに制服で歩いていたら、知らないおばあさんに「○○高校の子が雨に濡れたらかわいそうだから」と傘に入れてもらった。

予復習に課題に課外授業にと、生徒たちはよく勉強していた。私は徐々にその空気が無理になってあれこれサボり、ついでに受験直前にインフルエンザにかかって志望校に落ちたが、予備校での平穏な1年間ののち無事合格した。4年間私大に通うより1年間予備校+4年間国立大に通う方が学費が安いとどこかの受け売りを得意げに両親に話した。それとは関係なく、両親は勉強も受験も(のちには院進も)したいだけさせてくれ、気持ちをそぐことはしなかった。単純に恵まれていたと思う。

同級生のなかには、浪人が許されない子も、国立の前期試験では東京の大学を受けてもいいが私立と後期は県内に限ると言われている子もそこそこいた。東大か地域の教育大かのどちらかで志望校を迷っている女の子もいて、そこにあったジェンダー的な偏りは大学の授業で言われて初めて意識することになる。大学で県外に出ても、卒業してからは地元に戻って就職や結婚をした人が多い。

高校時代に一緒に課外授業をサボってケーキを食べた友人も、慶應に進学して「イオンがないからどこで買い物したらいいかわからない」と言っていた友人も地元で結婚して子どもを産んだ。東京だけがすべてではないと頭では理解しつつ、ほかの土地で生きることを私は知らない。かつて同じ土地で似たような居心地の悪さを感じていた彼女たちに、『あのこは貴族』は、そして東京はどう見えるだろうか。

あのこは貴族 (集英社文庫)

あのこは貴族 (集英社文庫)

 

小説では美紀の出身高校は県内一の進学校ということになっていた。それだとまああの同窓会はやりすぎかなと思う。