魚喃キリコ『南瓜とマヨネーズ』

2011年前(!)に書いたレポートを2013年に書きなおしたもの。
下北沢は行くたびに変わっていく。

出会いと別れの場:駅
東京タワーのキーホルダー――魚喃キリコ南瓜とマヨネーズ』から

われわれが皆、目を閉じて思い浮かべることができる忘れがたい光景というのは、ガイドブック片手に見つめた光景ではなく、われわれがその時には注意を向けなかった光景,ある過ちとか,行きずりの恋とか、たわいない面倒事とかといった他の事を考えながら通った場所の光景である。
G.K.チェスタートン(ベンヤミン『パサージュ論』より)

はじめに

 魚喃キリコ南瓜とマヨネーズ』は、東京で暮らす主人公「ツチダ」の、今の恋人「せいちゃん」と忘れられない前の恋人「ハギオ」との間で揺れる気持ちを描く漫画である。登場人物と同じように背景も白黒の線・輪郭のみで描かれ、舞台となる街は一見、抽象的な「東京のどこか」のイメージのように思われる。しかし、作者の魚喃キリコ自身が『南瓜とマヨネーズ』連載終了直後のインタビューで、「背景は、撮った写真を何度も何度もトレースしていて。そのまんま定規で描くと、もとが写真だからすごく歪んだ印象になるんですけど、でもぐにゃぐにゃな線で描くと、それがまとまるんですよ」と語っているように、この作品中に描かれているのはほぼ現実の街、東京の一部分である。駅の表示や街の看板の文字はところどころそれが読めるように描かれている。作品中、台詞や独白の中では、地名そのものはいっさい明記されない。描かれた背景から推測するに、主人公ツチダとその恋人せいちゃんがふたりで暮らしている部屋は代々木周辺の住宅地だろう。ツチダのアルバイト先は下北沢にあり、物語は下北沢駅から新宿寄りの小田急線沿線で進んでいく。

南瓜とマヨネーズ』p. 9 下北沢・白鳥座

 

駅 出会いと別れの場

 作品中で、主人公であるツチダの部屋や彼女が歩く街々と並んでよく描かれる背景は、下北沢・代々木上原・新宿などの小田急線沿線の駅や電車である。ツチダは電車に乗ってアルバイト先へ通い、電車に乗ってハギオに会いに行き、電車に乗って自分の部屋へ帰る。作品中でも、現実でも、東京に住んでいる人々にとって、電車は毎日の生活に欠かせない。そのような私たちにとって駅は、生活のためにただ毎日通り過ぎる場所でありながら、人とたまたま出会ったり、待ち合わせをしたり、別れたりする場所でもある。

 ある日ツチダはアルバイトから帰る途中、下北沢駅の改札の前で昔の恋人であるハギオに偶然再会する。ハギオはツチダに電話番号を教え、ふたりはその後ふたたび会う約束をして、新宿で待ち合わせる。待ち合わせの時刻に遅れているハギオを待ちながら、ツチダは期待と不安が入り交じった気持ちでいる。

夜じゃなくて 昼間の街の中で ハギオがあたしに 会ってくれる
もしかしたら すっぽかされるかもしれない
はじめからハギオは 来る気なんか ないのかもしれない

 都心での移動手段は主に電車であるから、待ち合わせといえば、自然と駅になる。東京での生活には駅での待ち合わせが組み込まれているともいえる。渋谷や新宿に行けば、いつでも多くの人が、誰かを待っている。作品が連載されていた90年代末は、携帯電話が急速に普及していたとはいえ、まだ携帯電話を持たない人も多かった 。この作品の登場人物たちも携帯電話を持っておらず、ツチダが公衆電話からせいちゃんやハギオに電話をかけるシーンが何度も描かれている。身体も考えも止まりじっと相手を待つそのこと以外なにもできなくなるような、待つという行為は、たった10数年前とはいえこの作品が描かれたころにはいまよりいっそう切実なものだったろう。多くの人が近くにいるにもかかわらず、待つ人の意識はその誰にも向けられず、たったひとり(あるいはグループ、集団)の自分が会うはずの相手にだけ向けられている。そのように駅は、大勢の人が各々の相手を待つ場所であったし、いまでもなおそうだろう。

南瓜とマヨネーズ』p. 98 下北沢駅
下北沢駅

 

 駅は出会いの場所であると同時に別れの場所でもある。同棲しているせいちゃんとツチダに関しては、駅が描かれるのは第一章のせいちゃんが仕事帰りのツチダを駅まで迎えに来ているシーン、最終章で再会する際に待ち合わせるシーンの2つのみであり、しかもそれらはともにふたりの暮らす部屋の最寄り駅である。それに対して、ツチダとハギオとのデートでは、いつも駅が描かれる。特に印象的なのは、ツチダがハギオに最後の別れを告げた後、ふたりが別れるシーンである。

南瓜とマヨネーズ』p. 183 新宿駅

 

 ハギオは振り向きもせず中央線のホームへの階段を上り、ツチダはその後ろ姿を見届けた後、小田急線の改札へ向かう。ハギオとは二度と会わないだろうというツチダの思いは、ここではふたりが住んでいる路線の違いに重ね合わされている。東京では、地図上の距離よりも電車に乗っている時間や乗り換えの回数、あるいは運賃が実質的な距離の感覚を作っている。生活範囲が違う路線だということは、大げさにいえば、違う世界に暮らしているということである。新宿駅のような巨大な駅では、何本もの路線が重なり、違う種類の生活圏が重なる。しかしそのような大きな駅では、一度別れてしまえば、偶然に出会うということはめったに起こらない。

東京タワー さびれた観光地、キーホルダーという「モノ」

 物語は前後するが、ツチダと前の恋人ハギオは再会し、新宿で待ち合わせる。その後ふたりは東京タワーへ行く。とはいえ、おなじみのあの赤と白の外見が描かれるわけではない。前のページの最終コマは新宿駅、ページが変わると場所が変わり、「特別展望台」の文字が見える。東京タワーそのものが描かれるのは作品中たった3ページ、それも展望台の中のみである。「東京タワー」という言葉もいっさい出てこない。
 あまりにベタな、ほぼすたれたデートスポットとして、東京タワーは描かれている。彼らはデートの約束をしたものの、行くところがなかった。ハギオは冗談で東京タワーへ行こうと提案し、ツチダはともかくそれに同意したのだろう。

南瓜とマヨネーズ』p. 111 東京タワー

 

 作品が連載されている1999年には東京タワーの総来場者数は1億3000万人を迎えるが、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』や、小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』などによる東京タワー再ブームを前にして、来場者数は落ち込んでいた 。単に来場者数の減少だけではなく、東京タワーは修学旅行や東京観光で行くところというイメージが定着し、東京に暮らす人がわざわざ足を運ぶような場所ではなくなっていた。

 ふたりは東京タワー展望台の売店を見ながら、おみやげの品ぞろえを笑う。

「くっだらねー ほんとに売る気 あんのかよコレ」
「売れてるから ここにあんじゃないのォ?」

 ところがツチダはハギオにねだり、キーホルダーを買ってもらう。彼女はもちろんキーホルダー自体がほしかったわけではない。ふたたび始まったハギオとの関係がつづかないことを分かっているから、彼女にとってハギオとのデートはつねに思い出作りの色を帯びる。もうほとんどつづく見込みのないハギオとの関係がそれでもつづくことへのかすかな望みを、ツチダは彼に買ってもらったキーホルダー、そして「東京タワーでハギオにキーホルダーを買ってもらったこと」に託している。ハギオと別れた後、「ハギオはずっと あたしといてくれる?」という独白とともに、ツチダはキーホルダーを握りしめる。そして最終章でツチダがハギオと決別するときには、ツチダはハギオの昔住んでいた部屋、自分がかつて通った部屋のある街を訪れ、一本の木にそのキーホルダーをかけてくる。

南瓜とマヨネーズ』p. 122 キーホルダー

 

 作品中で重要な役割を果たしているこのキーホルダーは、東京タワーグッズのひとつとして実在する。mixiの「魚喃キリコ」というコミュニティには、2006年から「tokyo towerのキーホルダー」というトピックがあり、148件の書き込みがある(2011年2月現在)。注目すべきは、作品中に登場するこのキーホルダーを恋人や夫に買ってもらった、あるいは買ってもらいたいという書き込みが多いことだ。これは作品の舞台を訪ねるいわゆる「文学散歩」や、アニメの舞台を訪ねる「聖地巡礼」のあり方とは異なるものだろう。

 ツチダにとっては、東京タワーもそのキーホルダーも重要ではなく、ハギオとどこかへ行くこと、「すごくすごく大好きだった」ハギオになにか買ってもらうことが重要だった。この作品の読者たちは、東京に暮らす人もそうでない人も、作品にならって東京タワーへ行き、作品中に描かれているキーホルダーを求める。たしかに、そこが作品の舞台となった「東京タワー」であること、作品で描かれた「その」キーホルダーであることは、彼女たちにとって十分大切だろう。しかし、『南瓜とマヨネーズ』で描かれる恋愛に共感・感動したであろう彼女たちは、なによりも恋人や夫に「買ってもらう」そのこと、作品の世界に自らの恋愛のあり方をなぞらえることに、強く意味を見いだしているのだといえよう。

南瓜とマヨネーズ (フィールコミックスGOLD)

南瓜とマヨネーズ (フィールコミックスGOLD)

 

[PiC Internet Magazine] 魚喃キリコのインタビュー。

 

2013年のおまけ

下北沢駅の写真。
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