辻惟雄講演会「日本美術の中の春画」

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辻惟雄講演会「日本美術の中の春画」@東大の記録。

 来年の秋、大英博物館春画展が行われる。大英博物館では何度か春画が展示されてきたが、浮世絵展や絵師の展覧会の一部でなく春画そのものがメインで展示されるのははじめてのこと。その展覧会が日本へも巡回する予定だったのだが、展覧会場探しに難航し、日本での開催が危ぶまれている。
 ちなみに日本で春画の出版が解禁となったのは1992年の学研『秘蔵浮世絵名品集』で、全5巻各20万円(!)にもかかわらず個人の購入者が想像以上に多かったという。

 講演会はまず、春画はエロティックな絵画であるのだが、「笑い絵」と呼ばれたようにおかしいもの、滑稽なものでもある、というところからスタート。

日本のポルノ絵画史の沿革

古代

 法隆寺金堂の天井裏、唐招提寺梵天像の台座の裏など、寺院の見えないところに男性器や女性器の落書きが残っているのが修復工事のときに見つかることがある。工人たちの間で、人目につかないところにそのような落書きをする伝統があったのかもしれない。
 平安時代、『古今著聞集』にある「おそくづの絵」のエピソード。絵画の中では現実ではありえないほど誇張されたものが描かれるが、それを現実のとおりに描いていたのでは「見所がない」。だから誇張するべきのだ、という「絵そらごと」の論理。腹に刺さった刀が背中へ突き抜ける出てくる絵を指してそのような話が語られるとき、「おそくづの絵」(=ポルノ絵画)が引き合いに出されていた。

中世

 『小柴垣草紙』『稚児草紙』など、春画の原型になるものが描かれた。男色が描かれている。
 『看聞御記』という宮廷用のポルノグラフィも描かれ、現代にまで伝わっている。一般人には一生見られないだろうが……。

近世

 元禄ころの長崎奉行の輸入品目録に「春意図」という記録があり、中国の春画だと考えられる。記録によればたくさん輸入されており、これをもとに春画の表現が生まれたのだろう。中国の春画に見られる形式や趣向が日本の春画にも見られる。ただし、中国のものは性器の大きさの誇張はしない。
 『春画 片手で読む江戸の絵』のタイモン・スクリーチ春画は男性向けのものだというが、おそらく、男性も女性も楽しむものであった。描かれているのは平和なところで営まれる(9割は素人の)性愛がほとんどである。さらにまじない(火災よけ、武運)の効果もあった。春画は日陰で描かれてはいたが、基本的には取り締まりはゆるやかで、堂々と売り買いできるものだった。

近代

 西洋からキリスト教道徳が入ってくるとともに、春画の排斥が行われるようになるが、春画を戦争に持って行くと死なないというまじないは依然生きつづけ、日清・日露戦争の際には大量に春画が制作された。明治40年には警察の取り締まりによってそれらの春画が没収された。版木だけで何万枚(!)という量だったとか。

浮世絵春画

 いよいよ浮世絵春画(枕絵、笑い絵、艶本、好色本、秘画)について、スライドを見ながら。(この記事には取り上げられたもの全部は書いていません。)

師宣-春信

 初期の浮世絵師菱川師宣は絵本の挿絵を多く手がけ、そのうち3割は秘画冊であった。表現は素朴なもの。現在では一部の好事家の間でカルト的な人気があるそう。輸入された中国の春画を受けて、もともと中国で成立した12枚揃いという形式で日本でも出版が行われるようになる。なかにはアクロバティックな体位を描いたもある(スライドで見たのは、桶状の風呂の上に男女が乗って、というもの)。「枕絵の通りにやって筋違え」という川柳があるらしい。(春画のなかのセックス=フィクションという認識が共有されていたということか?)
 師宣のあと、鳥居清信、鈴木春信へ。春信で有名なのは「風流艶色真似ゑもん」(1769ころ)シリーズの24枚。豆男がいろんなところに行っていろんなことを見るという趣向。スクリーチの本にも載っていた。話は大したことないらしいが、ひとつながりの話でさまざまなシチュエーションを描くには豆男という設定はよく生きるのではないか。ちなみに浮世絵には男色もよく描かれ、アナルセックス(男女でも)も多い。なぜかはよくわからないらしい。

清長-歌麿

 つぎに鳥居清長、なかでも「袖の巻」(1785ころ)の12枚は日本の浮世絵春画の最高峰といわれる。縦が8センチくらいの巻物で、袖に入るサイズになっている。清長以外もこの形式の春画を出版していた。細長い画面の中にどうやって人の身体をいれるかが絵師の腕の見せ所であり、清長のものを見ると衣装の柄と人間の体の白の対比など、春画の美しさがよくわかる。
 「袖の巻」のひとつに、女性器の図解を並べたものがある。これは円山応挙が年齢ごとの女性器を描き比べた「人物写生図巻」(1770)を見て描いたものか。これが性器を拡大して描く「おおつび絵」と呼ばれるジャンルにつながる。でも辻先生はお好きでないらしい。
 喜多川歌麿の「歌枕」(1788)も、清長と並んで浮世絵春画の最高峰であり、やはり着物の流れる線が美しい。歌麿が描く春画にはレイプのシチュエーションもある。春画の男性はだいたい性器以外は女性と区別がつかない身体をしている(中国春画からの影響)が、レイプの場合には男は動物っぽく描かれることが多い。(現代的にいうと「汚いおっさん」か。)海女が河童に襲われるとか、外国人(オランダ人、唐人)のセックスとかいう主題が流行ったこともある。

北斎

そして葛飾北斎。『甲のこまつ』(1814)有名な「蛸と海女」を含む。北斎はカタカナのオノマトペを多用するが、そういうことをしたのは北斎だけ。(ここで辻先生が「蛸と海女」のオノマトペを音読し出して会場騒然。蛸と海女 - Wikipedia)また、他の画家は春画でも裸体よりむしろ着物を描こうとする傾向にあるが、北斎は裸体そのものを描いている。


最後に、浮世絵春画であんなにも性器が誇張されるのはなぜかという問題について、春画の「まじない」的要素=性器崇拝との関連性が挙げられていた。縄文以来の性器崇拝が中国の民間信仰と融合したものが道祖神信仰で、それが性器の誇張のもとにあるのではないか。

 

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ピカソが晩年になってエロティックな版画を大量に制作したという気持ちがいまならわかるという辻先生の言葉がとても感慨深かった。展示会場が見つからない話も、春画を語ることに対する先生自身の微妙なエクスキューズも、講演後に質問がでなかった(私自身も手を挙げることができなかった)こともちくちくとして、自由に展示ができて自由に春画について語ることができる日はまだまだ遠いのかもしれないと思った。