二度と会えない推しにプリザーブドフラワーを
ストリップ劇場には花がある。
劇場前には各踊り子の出演やデビュー○周年、誕生日を祝うスタンド花が出ている。同じ踊り子を応援する客同士で協賛して出したものだ。お祝いごとのイベントではしばしば踊り子へのプレゼントの時間が設けられ、そこで渡された花束を最後にステージに並べて記念写真を撮る。イベントのない普通の日でも、踊り子さんに花束を手渡す客がいるとほかの客が拍手をする風習がある。浅草ロック座にも舞台上の踊り子に花束を渡す風習が数年前まであった。私も渡したことがある。
差し入れとしては現金や必需品のほうが喜ばれるに決まっているが、何を贈るかは結局は客のエゴである。そのうえで花は、誰がどう選んでも美しく、そして消えていくところがいい。各出演者の出演期間(「週」と呼ばれる10日間)の楽屋を飾り、ときおり部屋を飾り、ある程度時間が経てば枯れていく。スタンド花はたいていの場合は造花で枯れることはないが、その週がすぎれば撤去される。ストリップにかぎらずさまざまな芸能で花が贈られるのは、舞台というものと花との相性がいいからだろう。
消えていくのが花のいいところなのに、一度だけプリザーブドフラワーを渡したことがある。ストリップで私が最初に好きになった踊り子さんが突然劇場から引退してしまったあと、最後に設けられた撮影会だった。
きっともう二度と会えない人への贈り物。感謝を伝えると同時に、彼女がこれからの生活でときどき目を向け、この日々のことをポジティブに思い出せるようなものがいいと考えた。それも含めて自分史上もっともエゴ丸出しのプレゼントである。
小ぶりでガラスドームに入ったプリザーブドフラワーを選んだ。ステージでの印象とはまるでちがってピンクでキラキラしたものが好きな人だった。
いまだ整理できていないままのこの日のフォルダには、ほとんど裸でこの花を持って泣いている彼女の写真が何枚もある。撮影会は劇場では一言しか話せない踊り子と長く話せるというファン向けのイベントの意味合いが強く、写真を撮るばかりではないようだが、よくわかっていない私はそのために友人にカメラを借り、律儀にずっと写真を撮っていたのだった。
在宅ティータイムの充実に向けて
在宅勤務を乗り切るためにはお菓子と飲み物が不可欠だ。おいしいものの覚え書き。
フルーツアンドシーズンのフルーツサンド
ボリューミーだけど罪悪感少なめのフルーツサンド。パイナップルとりんごを食べた。かわいい見た目に毎日食べたいやさしいおいしさで、生クリームが苦手な私もおいしく食べられた。いまは機会がないが手土産にも絶対いい。
ル・ショコラ・アラン・デュカスのピスタチオのタブレット
2月は出かけるたびにチョコを買っていたがそのなかでいちばん好きだった。上品さと止まらなさが絶妙に同居していて、何日もかけて大事に食べるつもりがすぐなくなった。日本橋にある東京工房は作っているところがガラス張りになっていて楽しい。アフタヌーンティーもあるらしい。
リンツのリンドール
言わずとしれたおいしいチョコ。季節のフレーバーもあり、店舗で味を選んで袋詰めするのが楽しい。が、買って帰って気がつくと8割くらいは同居人が食べている。
マリアージュフレール
お正月にマリアージュフレールの福袋を買った。缶入の紅茶が2種類(フレンチブレックファスト、1854)、袋入が4種類(アメリカンブレックファスト、アールグレイインペリアル、島々のヴァニラ、セイロンラトナピュラ)入って1万円だった。紅茶の種類についてこれまでさっぱりだったけど6種類を順に飲んでいくとさすがに違いがわかってきた。毎日飲んで福袋で買った分はもうすぐなくなりそう。
福袋とは別に、銀座本店のカフェに行ったらいかにも紅茶のオタクといった店員さんが説明してくれた。なんでもその道のオタクに説明してもらうとうれしくなる。
ブルーボトルコーヒー
ブルーボトルコーヒーが好きだ。飲み会や旅行に比べたらタダみたいなもんだと自分に言い聞かせ、かなり気軽に行っている。そこでコーヒー豆も買った。これまで飲んでいたのは楽天で買った100袋入りくらいのドリップコーヒーで、それに比べて格段においしい。ただ世の中には他にもおいしいコーヒー豆はありそうだ。
以前家でコーヒーをいれるのに使っていたフレンチプレスは最近すっかり紅茶用になり、タリーズで見かけたワンカップコーヒーメーカーというのを買った。あとから見たらロゴが入っていないだけで同じものがAmazonで売っていた。
コロナで生活しかすることがなくなってiDeCoとNISAを始めた話
劇場へ行くことが激減し、人と会うこともなくなって久しく、生活しかすることがない。年末年始のころはもっとふさぎこんでいて何か気分の上がるものはないかと紅茶、シャワージェル、基礎化粧品など買い集め、もう当分なくならないくらいになってしまった。
去年の春に転職をして給料が上がった。そしたらとくに何もしなくても貯金が増えていくようになった。それまでもそれなりに暮らしていると感じていたが、いま思えばまあそれなりに貧しかったのだ。
銀行の諸々の手続きをしたのをきっかけに、両親が貯めていてくれた定期預金+αの口座にいくら入っているかを初めて知った。自分の貯金の4倍だった。さすがにこれは何かしら有意義に使わなくてはと思い、たとえばマンション購入の頭金? ということで本を読んだり物件情報を見たりしていたが、東京の家、高すぎる。築50年とかでも普通に高い。
で、具体的なあれこれはともかく、文京区のなるべく駅チカの2LDKの中古マンションを買ってリノベして暮らすという希望を抱いた。そのために、というかこれから不安なく暮らしていくために、まずはできることをしよう。夏くらいに取り寄せたきり総務に書類を持って行くのが億劫で放置していたiDeCoをようやく申込み、ついでにつみたてNISAも始めた。
お金のことがまあまあ得意で賃金労働者でありながらこまめな財テクを駆使して娘二人に進学と一人暮らしをさせ家族旅行なども挟みつつ貯金まで残してくれた親。ありがとう。自分にそのようなことができるだろうかといえばたぶん無理だろう。そして同居人(口座の残高が52円だったことがあるらしい)はお金のことが私よりさらに苦手に見える。とにかく、できるだけお金のことを考えず、しかしお金に困ることなく生活していきたい。
ということでこれも読んだ。お金とほどよく付き合っていこう。資本主義が空気のようにあるこの世で。
6ボールパズルでやばいCPUに勝つ
Switchのソフト「世界のアソビ大全」を先月買った。マンカラ、バックギャモン、スパイダーなどぼちぼちやっていたが、現在はもっぱら6ボールパズルというゲームにハマっている。これを書いている時点でプレイ847回らしい。
同じ色のボールを6つ集めると消えるといういわゆる落ちゲーで、「ワザ」と呼ばれる決まった形に組んでボールを消すことで相手に大量のボールを送ることができる。普通に6つつなげて消すだけでは勝つことはできず、積みながらワザを目指していくゲームである。
「世界のアソビ大全」のCPUは「ふつう」「つよい」「すごい」「やばい」の4段階で、ほかのゲームではいまいちコツがわかっていなくても「やばい」に勝てるものもあるが、6ボールパズルでは相当鍛錬しないと勝てない。
「すごい」と互角に戦えるようになったのが一週間前。「やばい」に挑戦するも負けつづけ、まぐれで一度勝てたときからさらに続けて、ここ数日はコンスタントに勝てるようになってきた。とはいえいまだ負けるときのほうがずっと多い。
「やばい」に勝つためのメモ
- 3種類あるワザはヘキサゴン>ピラミッド>ストレートの順に強い。とくに序盤はヘキサゴンを目指し、相手が最初にワザを出すより先、最低でも同時にたどり着く。先に出されてボールが落ちてきてしまうとかなり厳しい。
- 相手にワザを出されると大量のボールが落ちてくるので、盤面と次に落ちてくるボールを見ながら次に何を組んでいくかを考える。このとき、ピラミッド▽を目指すと比較的ラクかもしれない。
- 考えながらぐるぐるボールを回しているとあっという間に負ける。素早い判断が何より大切。
- 諦めないことも大切。デッドラインの1列上までを盤面と思おう。
- ワザを目指して待っている色以外の色をうまくまとめていけると安定するはず。2面待ちができると強い。(が、そのコツはいまのところわからない…)
映画『花束みたいな恋をした』に、労働により疲弊してパズドラしかできなくなってしまった男が出てくる。私は学生時代には「2048」に無限に時間を溶かしたことがある。「にゃんこ大戦争」にもね。
キャバレーという非日常、あるいは人とただ話すための場
文春オンラインに「白いばら」についての記事を載せてもらった。
同店が2018年に閉店したことを受け、その店で働いていた元同僚と3人でサークルを結成して同人誌を出した。経験も技術も持ち寄り、手前味噌ながらどれもそれぞれにいい本になった。
白いばらというお店に対しては複雑な愛着があり、あまりによく言われていれば「そんなきれいごとばかりじゃない」と、悪く言われていれば「何も知らないくせに勝手なことを」と感じる。複数冊の同人誌を作ったことでいろいろな面から光をあてて語ることができたと思う(1~2冊だけ持ってる方はぜひ他の本も買ってください)。
文春オンラインの記事の最後には、サークルの他のメンバーの言っていたことを使わせてもらった。
閉店から3年、新型コロナウイルスの流行で人が集まること自体が難しくなってしまい、人とただ話すための時間・空間がこんなに貴重で恋しいものになるとは思ってもみませんでした。キャバレーという箱がなくなっても、人と人との親密な時間のための場、そこでしかできないコミュニケーションの場はいつの時代も必要とされるのではないでしょうか。
何百人もの人が毎晩ひとつの場所に集まり、膝の触れ合うような距離で隣同士に座り、することといえばただお酒を飲んで話すだけ。ただ人と過ごすこと、それだけのために装飾やドレスやショーといった装置が整えられ、大きな時間とお金と労力が費やされていた。
キャバレーは、少なくとも私がそこで過ごした平成の末期には、「昭和」で「レトロ」で「ディープ」なものと見られることも多かった。「キャバレーという場を必要とした時代が終わりつつある」と記事にも書いたが、そう語るときに浮かぶのは、キャバレーという場を必要とした時代はたしかにあったし、おそらく私たちにはいまも、キャバレーのような場が必要だということだ。
空間と時間で区切られたキャバレーという非日常。そこで出会う人々は原則そこだけの関係だった。日常を過ごすためにそのような非日常が必要であり、いつも会う人とうまくやっていくために、ときどきしか会わない人との関係が必要だったのだ。その「日常」(たとえば高度経済成長期におけるサラリーマンの「仕事」)や「いつも会う人」(たとえば専業主婦である妻)は社会を反映し、現在から見ればすべて是とはとても言えないが、多少の背伸びにより手の届く非日常が果たしていた役割は、「レトロ」なイメージが喚起するものよりずっと大きいだろう。
現在の私は、同居家族とときどき出社すれば会社の人としか会わず、穏やかに楽しくしかし閉塞感に満ちて暮らしている。浮ついた会話と感情を交わし、ときにとんでもない理不尽や怒りもあった日々のことを、その狂乱さえも私たちに不可欠なものだったのではないかと思い出しながら。
10月と11月の食べたもの記
飲み会がなくなり同居人とご飯ばかり。どうしても会食の場合はコース料理を食べている。
門前仲町のフレンチ、L'Agréable Esprit de GAMIN。月替りのコース1種類のみ。量も多すぎず目にも楽しいコースでときどき行きたい。
esprit-de-gamin.gorp.jp
ジャックアンドベティで『彼女は夢で踊る』と『ヨコハマメリー』を観るあいだに行ったギリシャ料理スパルタ。ランチは赤魚のオーブン焼きが一番好き。
歴博からの帰りに上野駅旧貴賓室にあるブラッスリーレカン。駅ナカと思えないほど雰囲気よく、おいしい。使い勝手のよさそうなお店。
エリックサウスマサラダイナーで念願のモダンインディアンコース(写真は量少なめ)。体験のある味。ひよこ豆の衣の牡蠣のフリットがおいしかった。
イルミナ創刊号編集後記③―既に差別のあるこの社会で
ストリップと社会と私を考えるZINE『イルミナ』創刊号の各コンテンツへの個人的な感想、ひとまず最後です。これまでの記事は以下の2つです。
創刊号後半は編集部のあいださんと私(うさぎ)が自前で書いたものが続きます。文字も小さく内容も重いしで飛ばしている方もいるかもしれません……そんな方へもこのブログ記事が読み進めるためのガイドになればと思います。
普段ストリップのことを話すとき、インターネットでも口頭でもできるだけ語らないようにしていることが私にはあります。そのうちの一つが、この社会にあるストリップへの偏見であり、ストリップに限らない風俗業(そして広い意味での「夜の街」)への差別です。
語らないのは、語ることによってむしろそれらの存在を認めてしまうというか、助長することになるのではないかと思っているからです。が、とくにこのコロナ禍のなかで噴出した数々の問題に、触れないでいるのも不誠実と思い、同人誌という媒体で書き残し提示することにしました。
- 公正でない社会の公正でない犯罪―映画『ハスラーズ』(うさぎ)
- 劇場は今―コロナ禍で浮き上がる性風俗差別(あいだ)
- 消えた劇場 ②DX歌舞伎町(新宿)(うさぎ)
- えっ、少年マガジンでストリップ?―少女マンガの巨匠の真摯な奇作 里中満智子『さすらい麦子』(あいだ)
公正でない社会の公正でない犯罪―映画『ハスラーズ』(うさぎ)
この映画を初めて観たとき、キラキラしたいくつものシーンに心動かされ、シスターフッドに励まされる一方で、どんよりした気持ちにもなりました。それはたとえば私たちは通常自ら選択して物を買ったり契約を結んだり労働したりしているけれども、そのとき公正と思われるルールや、ルールを生み出しているこの社会のほうがすでに公正ではないのだとしたら? そうだとしたら、不正にあらがうことはルールを破ることでしかありえないのではないか? という気持ちだったと思います。
映画では、リーマンショックという社会全般の危機によって、平時からあった搾取や差別がよりあからさまになる状況が描かれています。公開時からまもなく私たちの社会にも新型コロナウイルスという危機がおとずれ、皮肉にも、このことをリアリティをもって経験できるようになってしまいました。
そんななかでこの映画のことをどう考えたものか、正直なところ私にはまだよくわかっていません。このコーナーは、2度目に映画を観て気になったシーンを集め、あいださんによる次の記事はもちろん、創刊号全体にも響くようにと思って書きました。
※『ハスラーズ』は現在Blu-rayやDVDが発売されているほか、各種配信サービスので観ることができます。
劇場は今―コロナ禍で浮き上がる性風俗差別(あいだ)
4月、緊急事態宣言とともに各地のストリップ劇場が一斉に休館しました。宣言の解除とともに営業は再開され、感染対策をしながら続けられていますが、さまざまな面で以前と同様とはいえない状況です。
このブログを書いている11/25にも、再度の感染拡大を受けて東京都では飲食店への時短営業要請が発表されました(大阪でも24日に一部の地域に向け出されています)。劇場の営業に変化はあるのか、踊り子の仕事はどうなるのか、もしも感染者が出たら……。ストリップ客のなかにはさまざまな事情で「今は劇場へ行けない」という方も「今だからこそ行く」という方もいますが、先の見えない状況に対する不安や、なんとかして劇場・踊り子を支えたいという気持ちは同じだと思います。
コロナ禍という危機に際して売上が大きく減少し、このままでは営業を続けられないかもしれないというお店や会社に対して、「持続化給付金」という事業者向けの制度が国により用意されています。しかし、この持続化給付金から、ストリップ劇場を含む性風俗業の事業者は対象外とされています。記事のなかでは、この給付金をめぐって浮かび上がる、この社会にある性風俗業への差別について書かれています。
ここで紹介している「セックスワークにも給付金を」訴訟のクラウドファンディングは790人のサポーターを得て目標額を達成しています。訴訟はこれからです。
消えた劇場 ②DX歌舞伎町(新宿)(うさぎ)
ストリップ劇場は現在ある劇場のみが営業を許され、新設することはできないと言われています。劇場の閉館は踊り子にとってもスタッフにとっても客にとっても大きな痛みをともなう出来事です。
2019年のDX歌舞伎町の閉館は、私にとって初めての、自分が愛した劇場がなくなってしまうという経験でした。ここでは、デラカブという劇場について、と見せかけて真白希実さんという踊り子さんについて……デラカブで踊る真白さんについて書きました。
誰が呼んだか「ロック座の至宝」、舞台上にいる真白さんはいつも観る人の視線を文字通り一身に集め、それを照らし返すように強い光を放つ。さらにDX歌舞伎町で踊る彼女は、ほかのどの劇場で観るよりもダイナミックで力強く見えた。この劇場で最後に踊るのが彼女であることが、奇跡のようにも当然のようにも感じられた。
真白さんのステージには、『ハスラーズ』の序盤のラモーナのポールダンスのシーンと重なるような、視線を集め場を支配する圧倒的な力があります。一つの劇場の閉館に際して彼女が見せてくれたのは、ストリップという芸能が確かにここにあること、そして未来へと続いていくことでした。
ちなみに「消えた劇場①」はイルミナ準備号に掲載されており、横浜の黄金劇場を取り上げています。準備号は現在DL版のみ用意しています。
変わる歌舞伎町 ロータリーの閉店(うさぎ)
歌舞伎町、デラカブから徒歩すぐの風林会館にあった「サントリーラウンジ ロータリー」の閉店について書きました。金曜にヌードショーがありストリップとも縁の深いお店です。
ロータリーについては充実したWEB記事やドキュメンタリー番組がいくつもあります。たとえば以下。
えっ、少年マガジンでストリップ?―少女マンガの巨匠の真摯な奇作 里中満智子『さすらい麦子』(あいだ)
1970年代の『少年マガジン』には、『釣りキチ三平』(矢口高雄)や『三つ目がとおる』(手塚治虫)と並んでストリップ漫画が連載されていた! しかも作者は里中満智子!
主人公はアホ毛とハート形ハゲを頭に宿し、モンペを履きこなす女子中学生・麦子。踊り子の母に連れ添い、街から街へ旅をする。彼女は母の生業であるストリップという仕事を心から尊敬しており、行く先々でそのすばらしさを人々に説き、なんならたまには自分も脱ぐのである。
ストリップファンにして少女漫画愛好家(?)のあいださんにより、この漫画がストリップという題材にどのように向き合っているかが語られます。「主体的な性風俗従事者の女性VS性嫌悪の人権派女性」という、時代の(しかし現在でもしばしば見られる)限界についても言及されています。
※『さすらい麦子』は各種電子書籍サイトで配信中です。私はKindle Unlimitedで読みました。